視点 オピニオン21
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グラフィックデザイナー 木暮 溢世さん(片品村東小川)

【略歴】横須賀市出身、多摩美術大卒。制作会社、広告代理店を経て74年独立。航空、食品など大手企業の広告や、オフコースのジャケットなどを手掛けた。

村おこし


◎身の丈に合った行動を

 片品村に引っ越して半年ほどがたち、以前から考えていた構想を企画書にまとめ、隣の集落で目についていた家に相談に行った。村全体をひとつの大きなギャラリー、ライブハウスに見立て、紅葉がきれいな十月に広く作家に呼びかけ、あらゆるジャンルのアートと音楽を発表しようという構想を受け入れる空気がこの村にあるか―を知りたかった。

 提案した私が驚くような勢いで人が集まり、動き始め、「村おこし」や「発信」の言葉が飛び交った。「そんな大それたことじゃないんだ」。結果としてそういった効果が望めるとはいえ、あくまで一個人の構想なのだ。

 とりあえず経費はかかるからという意見をとり、腑(ふ)に落ちないまま県に補助金の申請をしたところ、あっさりと限度額オーケーの内諾がきた。ただし、われわれのところにではなく、別のグループの元へ。「筋が違う」。私は県職員の見識を疑った。いかに内諾とはいえ、返事をする相手が違う。

 その別のグループの人間が村からも補助金をもらおうと、協力を申し出てきた。好意からの申し出とはいえ、時期が違う。筋が違う。公の予算からの補助金といえど、それはみんなが収めた税金なのだ。民間の構想実現を、簡単に公の補助金に頼る姿勢も私には理解しにくかった。

 ちょうど同じ時期に、古くからの友人である元オフコースのメンバー三人から、片品村でライブができないかという打診があり、構想の具体例として開催することを決めた。入場料は四千五百円、いまどきの平均額。これに集まりの中から「片品でやるなら、せいぜい二千円」との異論が出た。

 「片品でやるなら?」。片品村は特殊地域なのか。全国の平均値が通用しないのであれば、片品では全国レベルのことは何もできない。利根沼田を一歩出たら通用しない、補助金に頼ることを前提にした“片品の基準”など、何の意味があるか。

 考えるところが、私の思いとはまったく違う。県への補助金申請を取り下げ、私は集まりとは離れ、構想実現を振り出しに戻し、元オフコースの三人のライブは強行した。

 片品の人はもちろん、沼田からも高崎、前橋からも、東京からも千葉からも、一番遠くは大阪からも人が来てくれた。その後の私に対する周囲の反応を見る限り、片品村にささやかでも風が吹いたことは確かだった。

 そもそも「村おこし」とは、特別な何かをすることとは限らないはずだ。一人ひとりがどう生きるかが、結局は村としてどう生きるかを決めることになる。子供たちに誇れる村をつくりたいと言うのなら、まず大事なことは、言葉より身の丈に合った行動だ。補助金に頼って背伸びをするよりも、自分自身の両足で立ち、リスクは自分で背負う、その覚悟を決めることだ。

 昨年十月末の住民投票で、片品村は自主自立の道を選んだ。これは行政上に限った問題ではない。村民の一人ひとりが自主自立の志を持ち、実行してゆくということなのだ。その覚悟のほどを、子供たちは鋭く厳しい目で見ている。

(上毛新聞 2005年2月6日掲載)