視点 オピニオン21
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建築家・エムロード環境造形研究所主宰 小見山 健次さん(赤城村見立)

【略歴】東京電機大工学部建築学科卒。前橋都市景観賞、県バリアフリー大賞など受賞。著書に「1級建築士受験・設計製図の進め方」(彰国社)がある。

家族おこし


◎住まい通して絆を確認

 都内の某大学建築学科の卒業制作作品を講評していたときのことです。気になったのは高齢者福祉をテーマにした複合施設の計画案でした。巨大な遊園地と老人ホームとを併設させることで、老人は遊ぶ子供たちの姿を居ながらにして眺められ、一緒に訪れた家族は自分の父母を慰問できるという構想。暗いイメージの老人施設に明るい活気が生まれるのだといいます。学生は、これからの高齢者福祉施設の新しい在り方だと誇らしそうに力説するのでした。

 私は何とも切ない気持ちになるばかりでした。老人施設で生活する父母に会いに行くことと、子供たちを楽しませる施設に行くこととを兼ねようという発想。孫世代の子供たちが遊園地で楽しむ光景を眺めることで老人は楽しめるはずだと考える発想。いずれもが少しも当のお年寄りの視点でものを見ていないところに、学生は全く気づいていない様子でした。

 親世代と共に暮らすことは敬遠され、核家族化はますます進んでいるようです。家父長制が色濃く残っていた時代は一緒に暮らすことで、嫁いだ多くの女性たちがつらい思いをしてきました。親世代との同居は若い世代にとって気持ちよく暮らすための大きな障害のひとつとなり、そうした意味での核家族化には必然性があったとも言えます。

 ただ、私たちは身近に暮らすことの中で、家族の意識を強くしてきました。共に暮らすことで犬や猫への思いすらも募ります。彼らが病気やけがをすれば治してあげようとし、彼らの死には大いに悲しみ涙します。犬や猫に対してすらも哀れみ、いたわろうとする。それは共に暮らしているからこそ生まれる自然な思いなのでしょう。

 遠慮や気遣いがいらず、敬いといたわりの気持ちとでいられる環境であれば、人はいつでも穏やかな気持ちになれるものです。どこの地域でも「まちづくり」が叫ばれていますが、寂れていくばかりの地域にとって、まず必要なことは、実は「まちおこし」ならぬ「家族おこし」なのかもしれません。地域が寂れた背景には、それ以前におのおのの家族のあり方そのものが崩れてしまっていることが大きく起因しているように思えるからです。

 高齢化社会を迎えた今、私たちは家族の、世代を超えた「いい関係づくり」を考えていかなければならないと思います。本来、家は家族をそうした気持ちにさせてくれる「舞台」でなければならないはずなのです。「家族おこし」という視点に立った、住まいへのそうした肌理(きり)の細かい配慮がなされた時、家は初めて心地よい家族づくりのための舞台となります。厳しくつらい時代だからこそ、家を通して〈家族の絆きずな〉を確認し合うことが必要ではないかと思うのです。

(上毛新聞 2005年2月10日掲載)