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高崎健康福祉大学短期大学部教授 案田 順子さん(高崎市新田町)

【略歴】東京都出身。実践女子大大学院博士課程修了。高崎健康福祉大短期大学部教授。専門は文学・言語学。群馬ペンクラブ常務理事、吉野秀雄顕彰短歌大会選考委員。

本物の「大人」


◎待つ勇気と的確な力を

 昨年の春、二年間も貧相な葉っぱだけだったミニ・シクラメンが、久々に濃いピンクの花を咲かせました。しかし、葉も花も野性味いっぱい(?)、花屋さんの店先に並べられているシクラメンとはかなり落差を感じてしまうような状態だったのです。ところがこの冬、いつものように夏からずっとベランダに放置されていた彼かの君は、まるで「今年はもっと驚かせてやるぞ」というほど見事に緑の葉を重ね、次々に美しい花を咲かせています。

 ある時にだけ可か愛わいがったり、関心を持ったりはするけれど、すぐに興味をなくしてしまう人間の「気まぐれさ」を指摘されたようで、少々後ろめたくも恥ずかしくもある私です。

 バラでもチューリップでも、切り花は見事に咲いているときを一番見てもらいたいと思っているのだから、しぼみ始めたら、それ以上人の目に触れないように処分してやるのがよいという内容の文章を読んだことがあります。中学生のときでした。それ以降、十数年、「花の命は短い」からこそ美しいのだと思っていたものです。

 しかし、それは装飾用にこしらえた「切り花」に限ってのことであり、自然の中で咲く花々にとっては他者の目に触れないようになどという気遣いなど迷惑千万。それは花の一生を人生に例え、花が枯れることを「老い」に重ね合わせた人間の勝手な言い分であって、わが家のシクラメン君のように花々や草木が一時的に「枯れ果てる」のは、次の「輝き」への充電期間にほかならないと考えれば、ものの見方も変わってくるはずです。

 何でも結果で判断される時代だからと、大人たちは子供に「早く」という言葉を繰り返し使います。「いつまで寝ているの。早く起きなさい」「なにぐずぐずしているの。早く食べなさい」と朝から「早く」を連発。学校から戻ってくれば「早く宿題やっちゃいなさい」、一緒に買い物に出かければ「早く決めなさい」と、何かにつけて素早く判断し、行動することを要求しがちでしょう。加えて「どうして、できないの」「なぜ、分からないの」と責め立てます。

 もちろん、遅刻や怠慢を奨励しているわけではありませんが、「簡単」「便利」が重んじられ、結果で勝負しなければならない時代だからこそ、「早く」にとらわれないで済む充電の時間が貴重なのだと考えます。「転ばぬ先の杖つえ」ばかり与えてしまえば、転がる痛みは経験できず、もし転んだときにも自分で起きるすべを知らない人間になってしまうのではないでしょうか。

 しかしながら、大人たちも子供が自分で起き上がってくるのを待つ「勇気」を持ち、一人で立ち上がれそうにもないと判断した際には的確な「杖」を差しのべられる力を蓄えておかなければなりません。誰々の助言や励ましが自分の一生を変えてくれたという逸話はよく耳にしますが、反対に一言によって一生を駄目にされてしまったというケースもあるのです。言いたくても「辛抱」できる本物の「大人」になりたいものです。

(上毛新聞 2005年2月11日掲載)