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県埋蔵文化財調査事業団調査研究部長 右島 和夫さん(伊勢崎市境女塚)

【略歴】群大教育学部卒、関西大大学院修士課程修了。県教委文化財保護課、県埋蔵文化財調査センター、県立歴史博物館など経て、03年から現職。群大、専修大講師。

一枚の写真から


◎子供たちに感動の心を

 わたしの手元に一枚の懐かしい写真がある。写っているのは、姉とわたしの誕生会の様子である。おぜんに向かって姉、弟、いとこ、わたしが正座しているのを側面から父親が撮ったものである。おぜんの上にはそれぞれ、お皿に盛った五目御飯とオレンジジュースとリンゴがある。「誕生日おめでとう」を言う直前の瞬間である。四人の目はおぜんの一点に注がれ、目がらんらんと輝いている。今から四十五年以上前の家庭のひとこまである。

 食卓に並ぶ品々は、特別メニューでごちそうだった。この後、至福のひとときを過ごしたことは想像に難くない。誕生日とともに最大の楽しみだったのは、クリスマスとお正月。クリスマスイブは枕元に靴下を置いて床につくのだが、興奮してなかなか眠れなかった。朝起きて靴下に手を入れると、ミカンと落花生とキャンデーが入っていて、またまた至福の時を満喫した。

 今から考えると、何とささいなことにとてつもない感動をしたのかと思うだろう。内容だけからするならば、今の子供たちは毎日が大誕生会、大クリスマス、大正月の連続ということになる。ただし、一枚の写真からも伝わってきたとてつもない感動の方はどうだろうか。ありきたりの言葉になってしまうが、物はお金で買えるが、感動は買えない。

 もしかして、毎日毎日、おいしいものを好きなだけ食べられることが、逆に子供たちから感動を奪ってしまっているのでは。経済的に恵まれるようになった結果と裏腹の関係にあるとしたら、皮肉な話である。

 ここまで見てきたように、おいしいと思う気持ちは、お金をかければ手に入れられるものでは決してない。食べる場面の条件が大いに関係している。

 県立歴史博物館に在職していた当時、「少年れきし探偵団」と命名した子供歴史クラブを開催したところ、多くの歴史好きの子供たちが集まってきた。その最後の回に古代のかまどを復元し、みんなで群馬の森で採集したドングリを料理して食べた。そのお別れ食事会では、以前に自分たちで制作した古代衣装と装身具を身につけ、自分たちで作ったマイ土器にドングリ料理を盛って食べた。この上なく盛り上がり、「おいしい、おいしい」ときれいにたいらげてしまった。

 今の子供たちが感動する心を持っていないのではなさそうだ。いつでも食べられるハンバーグやポテトチップスでなくても、否、それ以上においしいとドングリ料理を食べていた。

 子供たちから食べる感動を奪う恐れを取り除けるのは、大人たちというところに行き着く。リズムある食生活、ひいてはリズムある生活の工夫を積極的に図る必要がある。子供たちが豊かな生活を送れるようにするための糸口は、身近で簡単なところにありそうである。

(上毛新聞 2005年2月27日掲載)