視点 オピニオン21
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月刊「マイ・リトル・タウン」編集発行人 遠藤 隆也さん(太田市新島町)

【略歴】18歳で上京、Uターン後の76年に「マイ・リトル・タウン」創刊。出版・印刷業やエッセイストとして活動。著書に「面白かんべェ上州弁」などがある。

平成の大合併


◎問われる間接民主主義

 梅は咲いたか、桜はまだかいな、の季節。

 飛散し始めたスギ花粉のためなのか、なにかしらサワサワ・ザワザワと鼻やのどが心もとない。

 そこへ持ってきての合併騒動だ。

 ここで気になることがある。自治体議員の決めたことに、必ずしも一致しないのが住民投票の結果だったりすることだ。

 これは全体、どういうことなのだろう。

 市町村の議員さんたちの総意はすなわち住民の総意とイコール、というのが間接民主主義のはずであった。しかし、事はそう単純にいかないのが、平成の世の大合併に揺れる各地の現実なのだ。

 「地方に回(マ)ーす金がチットンベしか無(ネ)ーから、市町村は合併して“効率よく運営してくれ”っツーンが、今度の合併の本当(ホント)のとこだんべ」

 ため息とともに漏れてくる自問自答のかなたで揺れているのは、議員の身分は一定期間保障するという特例を視野に、右往左往する議員さんたちの姿だ。総意の食い違いの根っこはそこにある。歳費が増えるのなら、それに越したことはない。議員だって人の子。自分の身がかわいいのだ。

 すなわち、平成の大合併は間接民主主義の弱点をはからずもあぶり出してしまった、ということなのだろう。

 「もう少し、ノメッコクいかねーもンかいのォ」などと、わざとのように上州弁で思ったりするのだが、ここでの「ノメッコイ」には「滑らか」のほかに「親しくすること」の意味が重なっている。「ノメッコイ」の反対は「コソッパイ」あるいは「コソッペー」である。共通語で言うなら「こそばゆい」や「かゆい」「くすぐったい」がこれに当たる。

 ここで、しばし考えあぐむ。

 「かゆい」や「くすぐったい」は上州弁なら「カイー」や「モグッタイ」「ムグッタイ」だ。つまり上州弁での「コソッパイ」は「こそばゆい」であるのと同時に、そこから転じて「仲が悪い」や「ギスギス・ゴソゴソ・ガサガサ・ザラザラしている」意で使われるケースがあるのだ。「どーもアイツとはコソッパクて」と言えば「仲が悪くて」になるし、「こっちの蜂蜜(はちみつ)はノメッコクていいや。あっちのはコソッパクて病人にゃァ良かなかんべ」と言ったときの「コソッパイ」は「ザラザラしている」といった具合。

 春という季節は変幻自在だ。ポカポカと暖かかったかと思えば、風花が舞ったりする。吹く風も、コソッパかったり嵐のようだったり。

 シーソーゲームをするように、やがて季節は新緑のまばゆい季節へと、なだれ込んでいく。

 平成の世の大合併も同じような経過をたどれるのか…。一転にわかに曇り出し、急に風花の舞い出した上州の空を見上げて思う。

 「そーゆーンだら、世話(セア)なくって、イーンだけどねェ。やっぱシ、そうゆー訳にもいかなかんべ」。そう思わざるを得ないのが、今の現実だ。

 コソッパイ風は当分の間、やみそうもない。

(上毛新聞 2005年3月17日掲載)