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高崎健康福祉大学短期大学部教授 案田 順子さん(高崎市新田町)

【略歴】東京都出身。実践女子大大学院博士課程修了。高崎健康福祉大短期大学部教授。専門は文学・言語学。群馬ペンクラブ常務理事、吉野秀雄顕彰短歌大会選考委員。

「ごちそう」で思う


◎感じた心大切にしたい

 数年前、ラジオ番組に出演した際のこと。「好きな食べ物は?」との質問に、思わず「ビフテキ」と答えてしまいました。何気なく発した「ビフテキ」だったのですが、その反応は「それってステーキのことですか。今は言わないですよねえ」という思いがけないものでした。確かに若者たちのみならず、中高年層の皆さまも「ビフテキ」とは言わなくなっているでしょう。

 「ビフテキ」は「ビーフステーキ」の略語と思われがちですが、フランス語の「bifteck」(ビフテック)が変化したもの。子供のころ、父のボーナスが出た日の「ごちそう」は決まってビフテキでした。もちろんレストランでいただくような飾り付けなど何もなく、ただ焼いた肉が平たいお皿にのっていただけのシンプルメニュー。お使いに行った肉屋の店先で、コックさん姿のブタがフライパンを動かしていたのを覚えています。

 高度成長期以前の「ごちそう」を代表するものといえば、すき焼きと、ビフテキではなかったでしょうか。それは正月や誕生・入学・卒業・成人等々のお祝い日、加えてボーナスが出た日(?)といったような、いつもとは違う特別な日だけに口にすることのできる、とても「ありがたい」ものでした。ところが今の日本は、デパ地下に行けば「ごちそう」があふれすぎて、どれもおいしそう、何をどのように選べばよいのか迷うといった状況になっています。

 テレビでは高価な食材を惜しげもなく使った料理が披露され、雑誌では必ずおいしい物の特集記事が組まれているでしょう。ちなみに周囲の若者たちに「ごちそう」と言われて、どんなものを思い浮かべると聞いてみたところ、なかなか答えが返ってきませんでした。好きな物、おいしい物は浮かんでも、「ごちそう」は思いつかない時代…。

 この状況は、何も食に限ったことではないのでしょう。デパートに行けば、どのフロアも物、物、物であふれ返っています。衣料品売り場で、ふと思うのは、こんなにたくさんの洋服、いったい誰が着るのだろうということ。たくさんありすぎて選ぶのに困るとは、よく聞くせりふ。それこそ物があふれ、収拾がつかなくなっている時代になってしまっているのです。

 需要と供給のバランスが崩れ、物が大量に余れば、次の生産のためにも大量に処分する以外に手段は残されていないでしょう。毎日毎日捨てられていく物たちは、捨てられるために作られたわけではなかったはずです。

 新製品と限定品、お買い得といった言葉に弱いとされる私たちですが、かつて「ごちそう」をありがたいと思い、捨てることを「もったいない」と感じた心を取り戻す時期が来ているように思われてなりません。そして、それは他者からの親切や優しさに対して素直に「ありがとう」と言うことができ、ありがたさから生じる「もったいない」といった気持ちを養うことにも通じていくように思います。

(上毛新聞 2005年4月3日掲載)