視点 オピニオン21
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群馬大学学長 鈴木 守さん(高崎市石原町)

【略歴】静岡県出身。千葉大医学部卒。東京大助手、東海大助教授を経て76年群馬大教授。同大医学部長、副学長を歴任、03年から現職。専門は寄生虫学。

社会人となった諸君へ


◎協調と調和を大切に

 現代社会では、私たちを取り巻く諸要因が二分極化して対立する様相が顕著となっている。第一は自然と人間の対立である。人のなす業が自然環境を破壊し、翻って人を脅かしている。第二に私たちの間には個人と人集団との対立関係がある。人集団をまとめる管理社会は、個人を隅々まで支配する体制となって人を仮借ない窒息感、閉塞感へと追い込んでいく。一個人の中にも対立要素がある。それは理性と感性の対立である。

 ここで、第三の問題である理性と感性の対立を象徴する事例を挙げてみたい。

 ノーベル賞受賞学者シャルル・リッシェに『人間淘汰(とうた)』という著書がある。「あまりに情け深すぎて、われわれは野蛮人になっている。障害者を敢あえて生かすのは野蛮である。知性がなければ人間の肉塊はなにものにもならない。人間性は尊敬に値する知性にある」。北海道で小児科医として仕事をしている田下昌明医師の著書には、この正反対の事例が紹介されている。

 ある家に一人の子供が誕生したが、その子には遺伝性の免疫異常、脳性小児まひなどの重大な先天性の疾患が見つかった。医師から子供の病を告げられると、その一家は、その子の病との対決を開始した。母親は仕事を辞めて子供の運動機能の蘇生(そせい)を図る訓練に通い始め、厳寒の日も吹雪の日も、一日といえども休むことはなかった。

 父親も祖母も、心を一つにして子供の機能訓練を支えた。素晴らしい回復を見せ始めたその子は、家族の願いもむなしく、生後八カ月の短い生涯を終えたのであった。しかし、その子が生まれるまでは、必ずしもうまくいっていなかった一家の中に、心を一つにするきずなと家族愛が生まれて、この障害児が世を去った後も消えることなく残った。

 二つの対立要因の分極化が顕著になっていく世界に、社会人として生きていかなければならない大学の卒業生諸君は、リッシェの理性の極限化した世界観を選ぶか、田下医師の世界を選ぶか、ぜひ考えていただきたい。

 私たちは人であると同時に生物であり、生物圏を離脱しては一瞬といえども生きていけない。三十億年以上前に地球上に生まれた生物は、すべてDNA(デオキシリボ核酸)という共通の遺伝言語を備え、無数ともいえる種それぞれの子孫を継続させる体系を進化させ、作り上げてきた。生物圏には、何億年もかけて作り上げた互いの協調と調和の知恵が具体的に生きている。群馬の豊かな自然の中で学生時代を過ごした卒業生には、協調と調和の心と行為が身に染み付いているはずである。

 群馬で学んだ卒業生の使命は、人間社会の中にあって対立する要因が顕著となり、先鋭化し、そして激化する趨勢(すうせい)を見る今という時に、自分の身の回りに協調と調和を取り付けることにある。群馬で学生時代を過ごした諸君ならば、必ずできるはずである。それを実践していけば、生きがい感に満ちた生活ができ、一生を終える時に確かな足跡を残したことを実感するであろう。

(上毛新聞 2005年4月6日掲載)