視点 オピニオン21
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写真家 小川 知子さん(東京都世田谷区)

【略歴】前橋市出身。玉川大芸術学部卒。石井雅子氏に師事。市川團十郎著「歌舞伎十八番」写真担当、写真集「文楽・吉田玉男」出版。国立劇場宣伝課勤務。

歌舞伎の桜


◎観客の喝采が咲かせる

 花のほかには松ばかり 暮れ染めて鐘や響くらん

 今年も桜花爛漫(らんまん)の季節がめぐってきました。まだつぼみの気配もない春先から、開花を待ち焦がれる幸福感に浸り、大木いっぱいに咲きそろった絢爛(けんらん)さに酔い、わずか数日で惜しげもなく散る心憎さ。別れと出会いの季節に咲く桜は、悲喜交々(こもごも)の思いを胸に秘めて見上げる花として、長年愛されてきました。

 歌舞伎でも桜は最も好まれる花で、桜に縁のある演目は人気があります。

 まず思い浮かぶのは『京鹿子(かのこ)娘道成寺』。全山桜にかすむ女人禁制の寺に、枝垂れ桜の豪華な振り袖を着た白拍子が現れ、その名も花子と名乗ります。においたつような色香で恋の諸訳を踊り尽くした花子は、ついに「恋の恨みで蛇体となった女の化身」という本性を現す歌舞伎舞踊の大曲です。

 芝居ならば『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』の山の段、『祇園(ぎおん)祭礼信仰記』の金閣寺、『白浪五人男』の稲瀬川勢ぞろい。そして『助六由縁(すけろくゆかりの)江戸桜』に代表される江戸吉原仲之町の夜桜。

 主人公はそれぞれに切迫した事情をかかえていて、不幸のどん底に落とされ、怒りに震え、執念に身を焦がしているのですが、舞台にはそんな状況とは裏腹の、明るく奇麗な桜の書き割りや吊(つ)り枝が飾られています。事件は、観客が思わず「おおおーっ」と声を上げるほど美しい桜のなかで展開するのです。

 丸本物(人形浄瑠璃のために書かれた作品を歌舞伎に書き換えたもの)の三大名作のひとつ『義経千本桜』は、タイトルからして日本人の急所を突いています。

 源平の合戦で一躍時代の寵ちょうじ児になりながら、兄頼朝に疎まれて落人(おちうど)となり、無念のうちに命を落とした源義経は、「判官贔屓(びいき)」の言葉通り、日本人にこよなく愛され語り継がれている人物です。そして、義経ほど桜の似合う若武者はいないのではないでしょうか。

 『義経千本桜』は、義経にちなむ芝居の最高峰といわれていますが、当の義経にはさしたる見せ場がありません。主役は大物(だいもつ)の浦の船戦で義経に敗れ、碇(いかり)もろとも荒海に身を投げ壮絶な最期を遂げる「平知盛」。親不孝の限りを尽くし、旧悪を悔いながら親の手に掛かる「いがみの権太郎」。初音の鼓にされた親狐(ぎつね)を慕い、義経の忠臣佐藤忠信に姿を変えて静御前の道中に付き添う「狐忠信」の三者なのです。

 しかし、血縁の浅ましさに苦しめられて滅亡する平家方の悲しみも、肉親の愛に飢えた仔(こ)狐のけなげさも、すべては義経の悲運に重なります。「この世の無常」の象徴とも思われる義経は、いつの時代でも品格のある美しい俳優が演じてきました。

 『京鹿子娘道成寺』の初演は一七五三年。『義経千本桜』が歌舞伎に移されたのは一七四八年。俳優の芸と裏方の技、そして何より代々の観客たちの喝采(かっさい)が、歌舞伎の桜を咲かせ続けているのです。

(上毛新聞 2005年4月8日掲載)