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建築家・エムロード環境造形研究所主宰 小見山 健次さん(赤城村見立)

【略歴】東京電機大工学部建築学科卒。前橋都市景観賞、県バリアフリー大賞など受賞。著書に「1級建築士受験・設計製図の進め方」(彰国社)がある。

「和風」建築の勧め


◎求められる癒やしの場

 今、「和風」が人気である。もちろん、この人気は建築に限らないし、「和風」といっても表現の上では多種多様。建築だって必ずしも塗り壁に和瓦の載った家が人気という意味ではない。「和のしつらえが好き」という言葉の向こうには当然、日本人の文化的な体質が大きくかかわっている。厳しい時代だからこそ「癒やし」の場としての「和風」が求められているともいえる。シックハウス対策から自然素材が求められている、ということもあるだろう。

 「和風」建築をずばり言うなら“日本特有の「間」の概念がつくる空間”ということになる。「間」とは言ってみれば、あいまいさ、ファジーな感覚のことだ。「間合い」という意味では「呼吸」、あるいは「バランス感覚」と言ってもいい。白とも黒ともつかない中間領域を好む感覚から「グレーの文化」などとも言われる。

 これを建築的に解釈すれば、光を適度に透かす「障子」が演出するほの暗さ、気配。深い軒下につくる縁側のような内とも外ともとれる空間、土や木、紙、布などの素材感を「趣」として楽しむそれでもある。自然と人工とが接する辺りを気持ちのいい関係と見る心だ。こけむしたり朽ちたりしていく過程を美しいと尊ぶ感覚自体が「和風」感覚である。

 ところで、そんな繊細な感覚を持つ日本人の住まいはというと、昨今どこを見てもタイル模様などのボードを張り付けた「新建材住宅」がひしめくばかり。とてもそんな光景には「趣」などと、そのたたずまいや気配を大切にする思いは感じられない。ある著名な建築家が、そうした住宅の光景を「ショートケーキのような…」と評したが、思わず納得させられる。

 北陸を旅すると、日本海の海辺に面して黒い瓦が載った家並みが続く美しい集落を目にする。潮風に負けないように鉛を混ぜて焼いた粘土瓦が、黒い郷土色を演出している光景だ。似たような景観はあちこちにまだまだ残っているし、美しい景観をと叫ぶまちづくりの呼び声には誰もがそうした風景を夢見ているのも確か。ところが前述のような「新建材住宅」がひしめく団地の風景には「集落」という言葉はまるで似つかわしくない。美しさの尺度など持ち込みようもないのだ。

 でも、それが今の日本の大方の都市景観の現実である。否定しようもないほどに歴然とした現実の風景なのだ。「和風」好きの日本人の住まいがどうしたことだ…。厳しいコストが求められる中での造り手側の創意工夫は大いに結構なことだが、「安価な家」づくりが趣など無縁の「安普請住宅」にしかなっていないという現実が、こうした景観をつくり出している。断熱性能や気密性能など数字で表せることは強調されても、その建築がつくり出す景観や気配についての認識が欠如している。

 住まい手は「癒やしの場づくり」を望んでいたのではなかったか。それに応えるはずの造り手は何をつくろうとしてきたのか。せっかくの「和風」人気である。この際だから、デザインの責任の所在を明確にして、おのおのが身を正すべきだ。心和む「和風」建築をつくろう。

(上毛新聞 2005年4月9日掲載)