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桐生文化史談会理事 神山 勇さん(桐生市菱町)

【略歴】桐生高卒。家業の建具職を継ぐ。非行少年の更生に向けたBBS運動にかかわり、76年から保護司を務める。生涯学習桐生市民の会会員。

昭和の合併から学ぶ


◎もっと住民の声聞いて

 「平成の大合併」により、全国の市町村数は来年三月末までに千八百二十二に再編されることになりました。合併で誕生した自治体の中で、話題を集めたのが越県合併でした。

 二月十三日、長野県山口村が岐阜県中津川市に編入し、越県合併が成立しました。越県合併は昭和三十四年一月一日、栃木県足利郡菱村が県を越して桐生市に合併して以来、実に四十六年ぶりです。

 昭和時代には六件の越県合併があり、うち本県関係では三件が歴史に残っています。全村合併は、桐生市に編入した菱村のみです。次いで昭和三十五年七月、山田郡矢場川村が分村して太田市と栃木県足利市に編入。さらに同四十三年四月、栃木県安蘇郡田沼町の入飛駒地区が桐生市に越県合併しました。

 矢場川村の分村合併では、境界の線引きで利害が絡み、長い間、隣同士で仲良く過ごしてきた人たちが、口も聞かなくなるような争いになった例も多くあったようです。

 県道太田・足利線を走ると、わずかな距離の間に本県と栃木県の県境を示す標識が四本も設置され、いかに入り組んでいるかが分かります。旧矢場川村地区で聞いた話によると、一軒の家で洗面は本県、食事は栃木県という生活が今でもあるようです。つまり、この家は県境に建っているのです。

 また、入飛駒地区は桐生川左岸の細長い地形です。生活基盤は同川の渓谷沿いに点在し、所用で田沼町へ行くにも、かつては山越しをして一日がかりという地区でした。年配の方の話を聞くと、自動車運転免許証を取得するのに、朝早くに桐生駅まで行き、両毛線に乗って栃木駅へ。そこから東武鉄道に乗り換えて宇都宮の試験場へ通ったそうです。往復ですから、それは大変だったようで、栃木、群馬両県をまたいで相互に通学していた子供たちもいたようです。

 全村で桐生市へ編入した菱村は、古来から桐生領で、紋織物は京都に次ぐ産地でした。合併前、郵便物のあて名も「群馬県桐生局区内 栃木県足利郡菱村○○○」と書かなければ、届きませんでした。義務教育の先生方には、栃木県最西端の村ですから、赴任に際して「へき地」手当が出ていたようです。「へき地」と言われても、桐生市の中心部へ二、三キロの距離です。

 小高い所に位置する現在の菱町からは、桐生市街地の明かりがよく見えます。菱村の時代は、特に飲料水が大変でした。地質のせいで鉄分の多い井戸が多く、洗濯物が一回で茶色に変わるような水質とあって、大事な生活用水は桐生川の流水を使っていました。市営の水道が引かれ、蛇口から勢いよく水が出たときは住民一同、大喜びでした。菱村に生まれ育った私としても、懐かしい思い出です。

 菱町は合併前も生活基盤は桐生市でした。もっと早く合併できなかったものでしょうか。「平成の大合併」はいよいよ大詰め。自治体はもっと住民の声を聞き、生活が便利になるような合併を目指して努力してほしいと思います。

(上毛新聞 2005年4月11日掲載)