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太田市文化協会企画部長 武正 菊夫さん(太田市石橋町)

【略歴】演出家を志し英国へ留学、ピーター・チーズマンに師事。帰国後、劇団「円」を創設。芸術大学講師の傍ら、高校生ミュージカルに尽力。太田市文化奨励賞。

ミュージカルの時代


◎目離せない10代の活躍

 オペラ座の怪人はすごいらしい―とか、何度見ても感動の涙が止まらない―とか、また奇跡がやってくる、キャッツ―など、劇団四季ミュージカルのキャッチコピーに心を躍らせ、劇場に足を運ぶ楽しさは格別で、家を出るときからすでに思いは舞台に飛んでいる。わが国において、これほどミュージカルが盛んになるとは、少なくても十年前には想像できなかったことである。

 今年も、宝塚音楽学校の第九十三期生に二十倍以上の競争率を勝ち抜いた少女たち五十人が入学したし、大学祭や高校文化祭でもブロードウェイやロンドンミュージカルのダイジェスト版が催し物の目玉になっているようだ。かつて、わが国の演劇界は、戦後の築地小劇場での翻訳演劇に始まり、民芸・俳優座・文学座という三大劇団の隆盛を経て、ビル街を疾走するアンダーグラウンドの実験的、前衛的な表現が主流になっていた。

 本県にも赤テントの移動劇場が広場や河川敷に出現し、行政や有識者のひんしゅくを買いこそすれ、若者たちの熱気でむせ返るようなアンチテーゼの演劇が上演されていた。ベトナム戦争が終わり、ビートルズのジョン・レノンが凶弾に倒れるころ、アメリカでは家族の大切さを見直すために、カムバックホーム運動として、ハッピーエンドな楽しいミュージカルが隆盛を極めるようになる。

 その波が日本に押し寄せるのに、そう時間はかからなかった。

 敏感に反応したのが、当時「オンディーヌ」などフランスのジロドゥ物と呼ばれるストレートプレイで頭角を現しつつも、大劇場のはざまであえいでいた劇団四季であった。

 あのころ、莫大(ばくだい)な経費をかけてブロードウェイの劇団を招き、びっくりするほどのチケット代でミュージカルを観みるのが普通であった。とても日本人に「ウエストサイド物語」などのダンス力が備わるとは思えなかったのである。

 その常識を、四季方式という徹底したトレーニングで覆し、今や演劇界のひとり勝ちといわれるようになったのは、周知の事実である。

 中高年のマニアだけでなく、少年や少女たちまで社会現象のように魅せる舞台をつくる四季や宝塚は、明らかに時代の寵ちょうじ児となっている。ところで来月上旬には、太田市で楽しみなミュージカル公演がある。それは、太田女子高音楽部の「ファントム」だ。

 ガストン・ルルー原作のミュージカルではくだんの「オペラ座の怪人」が知られているが、こちらの作品も素晴らしい音楽とストーリーが評判となり、世界中で上演されている。

 太田女子高音楽部はミュージカル舞台作りの伝統があり、毎年大勢の観客を魅了している実力校で、今回も大いに期待できる。

 スポーツ界では十代の活躍が目立つが、芸術文化の世界にも目が離せない。

(上毛新聞 2005年5月2日掲載)