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前橋工科大学大学院助教授 石川 恒夫さん(軽井沢町軽井沢)

【略歴】早大及び同大学院で建築を学ぶ。ドイツ留学を経て、97年から前橋工科大学に着任。現在、同大学院助教授。専門は建築論、建築設計。工学博士。

今井兼次先生のこと


◎西欧の芸術文化を吸収

 東京の銀座線、上野―浅草間が東洋最初の地下鉄として、一九二七年に運行を開始したことをご存じだろうか。入り口やホームのしつらえ、車両を含めてその敷設のためには、先端をいくロンドンやベルリンの地下鉄調査が必要であった。

 派遣されたのは若き建築家、早稲田大学助教授の今井兼次氏(一八九五―一九八七年)。一九二六年だから、八十年も前のことである。生きて帰れるかも分からない未知の国。でも、行くからには視察に加え、古今の建築を見たいと、綿密な下調べをして、シベリア鉄道経由でロシア、北欧、ドイツを訪ね歩いた。ベルリンでは地下鉄フリーパスを入手できたおかげで、連日地下鉄の駅をめぐり、詳細にスケッチを重ねていった。

 旅行の途次、今井先生は近代建築を導くグロピウスをデッサウに、ル・コルビュジェをパリに訪れたのみならず、一顧だにされなかったガウディやシュタイナーの存在を日本に初めて紹介した。さらにアッシジの聖フランチェスコ教会の濃密な宗教空間に深い感銘を受けるなど、海綿のごとき柔らかな心をもって、西欧の芸術文化を幅広く吸収していったのである。

 帰国後、わが国のモダニズムの礎を築いた今井先生。そのお姿を、私は二度ほど遠くから拝見しただけである。しかし、先生の建築作品や著作を通して、そして弟子にあたる諸先生方を通して、教えを受けることが許された。

 中世の時代、宗教的動機に根差した建築は「礼拝価値」を持つものとして造られた。建築が「美的価値」を目的に造られたのはルネサンス以降のことであろう。近代の資本主義社会においてはしかし、建築は「商品価値」を持つにすぎないものとなってしまった。

 碌山美術館、大多喜町役場、長崎二六聖人殉教記念館、桃華楽堂などの名作を残した今井先生は、芸術としての建築を求めて、「祈りの道」を生涯歩まれた。渡欧時に訪れたスウェーデンの彫刻家カール・ミレスの言葉「太陽の輝く間、私をして働かしめよ」を胸に秘め、建築制作に情熱を注いだ。幾案もスケッチを描き、青焼き図面に手を入れ、滞在中のホテルの便せんに、さらに広告の裏にも構想を練り込んでいったのである。

 今井先生が遺(のこ)した建築図面、スケッチ、書簡はそれゆえ一万点を超える。恩師に伴われて、遺稿整理のお手伝いを始めてから早十七年の月日がたった。そしてこの夏、今井先生が創設に関与された多摩美術大学の付属美術館で、『建築家・今井兼次の世界展』が開催される。九十三年の生涯に及ぶ創作活動が概観できるように、展示準備を進めているところである。

 最晩年のプロジェクトは田園調布カトリック教会祭壇壁画(モザイク)であり、そのモチーフはいみじくもフランチェスコの「太陽の讃歌」であった。美しいパステル画は時代を超えて、見る者を感動させるに違いない。

(上毛新聞 2005年5月16日掲載)