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桐生文化史談会理事 神山 勇さん(桐生市菱町)

【略歴】桐生高卒。家業の建具職を継ぐ。非行少年の更生に向けたBBS運動にかかわり、76年から保護司を務める。生涯学習桐生市民の会会員。

八木節の古里


◎大切にしたい伝統芸能

 梅雨明け前とはいえ、夏祭りの話題が気になる季節になりました。県内各地の夏祭りの定番、八木節の元歌を追い求めてきたことから、そのことについて触れたいと思います。八木節については、多くの本が出版されていますが、旧佐波郡境町(現・伊勢崎市)の地方史研究会が昭和五十二年に出版した『八木節のふるさと』を参考にして、旧境町内を訪ねました。

 八木節の元歌は諸説あると思いますが、現在の新潟県十日町市内の広大寺から伝わる口説き節が、明治三十年ごろ境町で唄うたわれるようになり、「赤あかわん椀節」と呼ばれて、大変な人気だったそうです。その口説き節を唄っていたのが、芸名を堀込源太という話題の人物でした。源太は明治五年、例幣使街道沿いの現・足利市堀込町で生まれました。若いころ、各地に日雇いとして出ていたようで、境町中島の尾島家と柿沼家で十数年間、夏場だけ養蚕の仕事に就いていたようです。

 一日の仕事の後、夏の余興会場で美声を披露し、赤椀節の名人といわれた源太ですが、招かれると、毎晩のように近村に出かけて唄っていたようです。源太は、間延びした情けない唄い方の口説き節を創意工夫して調子のよい唄い方に変え、リズムに富んだ源太節を生み出しました。

 その後、境から堀込に帰って、大正三年ごろ、源太節をレコードに吹き込みました。源太の地元である宿場、八木宿で人気の渋しぶたれ垂音頭の節を元に「八木節」と名付け、発売されます。その八木節の発祥の地は、『八木節のふるさと』によると境町中島だそうです。その中島の柿沼家へ寄せてもらい、家人にいろいろ尋ねましたが、源太をしのぶ物は何もありませんでした。

 八木節は踊りがいくつもあるようですが、歌手の初代コロムビア・ローズの父である久保千代作(芸名・喜楽家)が歴史に名をとどめています。昭和六年、京都市内の岡崎公園で開かれた桐生織物宣伝と品評会に、現在の桐生市梅田町四丁目にあった八木節グループ協楽会の一行が、桐生の代表グループとして大役を務めたことがあります。現在の足利市山下町に住んでいた久保は、その協楽会に踊りを教えに来ていました。梅田地区に泊まり込んでの指導で、昭和四―五年のころです。泊まった家の娘、浅野エイと結婚して、初代コロムビア・ローズの誕生となります。

 最近の若い世代の踊りはダンス八木節といわれ、洋風の衣装、小道具を持っての動きの激しい踊りに変わってきています。活気にあふれ、歴史ある群馬の伝統芸能として、大切に末永く伝えてほしいと思います。

 古里を思う話も伝わっています。栃木県下都賀郡の渡良瀬遊水地にあった旧谷中村(現・藤岡町)の住民が明治三十八年十月から国の政策により、北海道常呂郡佐呂間町に強制移住しました。この町内の栃木地区では、今でも盆踊りの季節になると、遠く先祖の古里・谷中村をしのんで、正調八木節が行われているとのことです。この地が八木節の北限地区になるのではと思われます。誰でも遠く離れて初めて、古里の感情が盛り上がるのでしょう。お互いに、足元の文化を大切に育てたいものです。

(上毛新聞 2005年6月26日掲載)