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高崎健康福祉大学短期大学部教授 案田 順子さん(高崎市新田町)

【略歴】東京都出身。実践女子大大学院博士課程修了。高崎健康福祉大短期大学部教授。専門は文学・言語学。群馬ペンクラブ常務理事、吉野秀雄顕彰短歌大会選考委員。

どういたしまして


◎1歩下がって相手思う

 小さなころ、ご近所に「おすそわけ」を持って行かされることがよくありました。「○○さんのお宅まで、持っていってね」と渡された風呂敷の中身は、到来物のお菓子や果物から揚げたての天ぷらに出来立ての五目ずし等々さまざまでしたが、「まあ、ありがとう」と喜んでもらえることがうれしく、「えらいのねえ」と褒めてもらえることが誇らしくもあって、「どういたしまして」と大人びた口調で応える私がいました。

 ちょっぴり照れながら祖母や母をまねての「どういたしまして」…。そう言えば「どうぞ」と何かを差し出す相手への「ありがとう」、それに対しての「どういたしまして」といった言葉のキャッチボールを、このところすっかり見なくなったように思います。

 悲しみや苦しさに耐えきれず涙があふれた時、「どうぞ」と差し出されたハンカチに「ありがとう」とつぶやく、そんなシーンは昨今のトレンディードラマでもよく見られます。私たちがそこに少なからず安らぎを覚えるのは、相手への優しい気配りや温かな気遣いを感じ取るからでしょう。さらに言えば、ハンカチを渡した相手は「どういたしまして」と言葉にせずとも、表情や態度で示しているはずです。

 「どうぞ」は自分の願望や希望をかなえたいという気持ちを依頼、嘆願する意味から、相手に何かを勧めたり許可を得ようとしたりするときに言うようになった。「ありがとう」は「ある」ことが「難しい」、つまり「めったにない」「珍しい」状態を意味していた言葉が感謝の気持ちを表すようになった。また、「どういたしまして」とは、相手から何かについて感謝された際に「そんなにお礼を言っていただくほどのことは、していませんので」と相手の言葉を丁寧に打ち消しながら返すあいさつ語として使われてきました。

 特に最近使われることの少なくなっている「どういたしまして」は、感謝の念を抱く相手の心の重さを軽減する大切な言葉。私が私がという自己中心的な考え方、自己顕示欲の強さが目立つ現代にあって、一歩下がって相手を思う「どういたしまして」の気持ちを持つことが求められているのではないでしょうか。

 この数年、昭和のヒット曲のリメーク版が出されたり、かつて大衆を感動の渦に巻き込んだテレビドラマが配役や演出を換えて放映されたりといった傾向が目立っています。団塊の世代以上の人々は当時の自分をそこに思い起こすことも多いのですが、編曲や演出方法によっては大切な思い出を汚されてしまうといった印象を持たれる場合もあり、作る側の苦心も多いと聞きます。

 しかし、作品に託された熱い思いや鋭い感性、いつの世も変わることのない人間模様を、異世代間で共有することができれば、そこに新たな対話も生まれることでしょう。もしそこで、かつての日本人が大切にしていた人情の機微、何気ないあいさつに込められた思いやりの心を同時に思い返し、次の世代に伝えていくことができれば、きっと「どういたしまして」も死語にならずに済むことでしょう。

(上毛新聞 2005年7月3日掲載)