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前橋工科大学大学院助教授 石川 恒夫さん(軽井沢町軽井沢)

【略歴】早大及び同大学院で建築を学ぶ。ドイツ留学を経て、97年から前橋工科大学に着任。現在、同大学院助教授。専門は建築論、建築設計。工学博士。

シュタイナー教育


◎総合的学習に生かそう

 「ゆとり教育」の象徴として、〇二年度から導入された「総合的学習」についての関係者の意識調査が発表された。中学校の担任を筆頭に、現場サイドの否定的な傾向が印象的である。子供がさまざまな体験活動を行うことへの肯定的意見も多いが、授業時間数削減に伴う学力低下という現実もある。学校現場での暗中模索が続いているのが実情である。

 かつて笠懸町の中学校の生徒たちが、研究室を訪れたことを思い出した。環境をテーマとした総合的学習のなかで、住まいとシックハウス症候群の問題について、私に話を聞くためにやってきた。彼女たちは、インターネットなどでよく下調べをしており、話を一生懸命聞く様子に好感を抱いた。専門家との出会いがあることだけを考えれば、総合的学習は意味があるといえるかもしれない。しかし、果たしてそうなのか。

 オーストリア生まれの思想家、ルドルフ・シュタイナーを創始者とするシュタイナー学校は、一九一九年にドイツに始まり、今日世界に広がりを見せている。芸術の重視、十二年一貫教育、八年生までクラス担任持ち上がりなど、さまざまな特徴があるなかで、総合的学習の関連で、ここではエポック授業のことを指摘したい。これは教科別授業に先立って、およそ午前中二時間、数週間にわたり、一つの教科領域を指導するかたちで行われる。この方式の導入の理由は「集中性」と「経済性」と「実りある休憩」に集約される。

 算数のエポックであれば、音楽や言葉などの芸術的要素を取り込み、科目の枠に縛られず、さまざまな方向からのアプローチが可能である。子供の心を一定期間、一つのことに、全人的に集中できるように配慮している。集中することが、その後の学習の経済性につながっていくのである。ここに授業本来の教育的意味があろう。

 従来の細切れな、短時間の授業は、労力と時間の浪費であり、子供の心を混乱に陥れてしまう。次々に機械的に授業が続けば、学んだことは、すべてもみ消されてしまうのである。没頭できた学習の事柄は、その表面的な記憶が失われても、その内実は心の奥底に刻み込まれるだろう。記憶内容がいったん忘れさられて、内的に消化され、必要なときに適切に思い出されるという作用をシュタイナーは重視したのである。

 分野横断性に総合の一つの意味があるとすれば、「総合的学習」という名の授業時間は本来あり得ない。一つの学習内容への多方面からの芸術的流入が、実りある学びをもたらすであろう。エポック授業の特徴をもとに、総合的学習の今後の在り方を模索することが必要である。ただシュタイナー教育の現象の背後には、豊かで深い人間観がある。ここ群馬でも、シュタイナーの思想を学び深めるために、〇一年より、群馬ルドルフ・シュタイナーハウスの活動が展開され、読書会や実習、講座が開かれている。

(上毛新聞 2005年7月14日掲載)