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万座スキー学校長 黒岩 達介さん(嬬恋村干俣)

【略歴】高崎高校中退。オーストリア国立スキー学校に留学。帰国後、万座スキー学校を創立、校長に就任。日本職業スキー教師協会常務理事などを歴任した。

ドイツで生活して


◎大事にしたい家族の絆

 古希を迎えた私は、家内とともにドイツのミュンヘンに住む長女夫妻に招かれ、久しぶりにかの地における生活をしてきた。私の長女はドイツ語圏での生活が二十年余りとなり、結婚して十一年、二児の母として、一家の主婦として、朝から晩まで休みなしで慌ただしい日々を送っていた。

 それは家庭内のことのほか、日本語補習学校の理事(運営委員)を務め、いずこもIT(情報技術)時代とあって、多くのメールに対応する時間に追われているからだった。

 そんな状況下で私たちを迎え入れ、特に私が所望した四十有余年に及ぶヨーロッパの知人・友人・恩人たちに対する表敬訪問の運転手役を務め、三千キロにおよぶ陸路を走ってくれた。自分の娘という気安さがあってのこととはいえ、時間的、経済的、肉体的にも大変な負担をかけてしまったと、帰りの機内でしみじみ感じ入っているうちに、一カ月間生活を共にした娘家族とのいろいろなことが思い出され、十二時間の飛行がとても有意義に感じられた。

 結婚生活十一年間の過程で、娘夫婦は生活基盤をしっかり築き、地域社会の責任を果たしていた。孫たちも含め、異文化の国にあって日本人としての誇りや立場を踏まえ、ミュンヘン市民として生活をしていた。

 驚いたことに九歳になる孫娘が、私に「学校に来て習字の授業をしてほしい」と言うので、娘に聞くと、その学校(マリア・モンテソーリ)では自由学習を奨励していて、すでに孫娘が担任教師と相談して決めたと言う。そういえば、日本からの土産は書道の用具一式だった。それにしても二十四人の同級生全員となると筆や硯すずり、墨はと聞くと、学校で対応しているから心配しなくても大丈夫と言う。

 当日は四人ずつ六班に分けて、スムーズに授業は終了した。たった一回数分間の学習であったが、娘が概要を通訳し、家内もアシストしてくれて、その任を果たすことができた。

 その夜、何人かの保護者(いずれもドイツ人)から感謝の電話をいただき、子供たちの反応に驚いた。それぞれが初めて筆を用いて半紙に書いた曜日の頭文字一字を親に示し、私が補足的に説明した古代中国に端を発する五行思想の「万物は木・火・土・金・水の五つの要素からなり、互いに影響し合う」といった話に興味あったのか、異文化の一端を学習した喜びを話してくれたという。

 孫娘は来日した折、私が趣味で書に励んでいることを知っていて、見て見ぬそぶりをしていたのか定かでないが、アジアの優れた文字を同級生に知ってほしかったのだろう。私としても、とてもうれしい思いに浸ることができた。

 今回の旅で、私は図らずも家族三世代の絆(きずな)というものを実感として体験することができ、今さらながら、その喜びとありがたさを、ほのぼの感じ入っている。

(上毛新聞 2005年7月31日掲載)