視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
県ドッジボール協会長 横倉 興一さん(高崎市下佐野町)

【略歴】群馬大学芸学部卒。高崎市教委健康教育課長、高崎北小校長などを歴任。同市ドッジボール育成協議会長、県ドッジボール協会副会長を務め、05年5月から現職。

教師の主体性


◎個性を磨くゆとりを

 子供たちが心身ともに健康に成長して、建設的な社会人として活躍できるように育てる力の根幹が学校教育であることは否定できません。また、根幹であるからこそ、多くの市民の関心ごとなのだと思います。

 近年は、この学校教育が危機的状況にあると指摘されつつも、乗り越えられない原因は学校教育の体質や悪弊にあるという批判が続出しています。現今は聖域なき行政改革の下で、教育現場でも多方面にわたって具体的な変革が行われています。この動向を見ていると、教育自体が現代社会の重荷になっているのではと錯覚を覚える毎日です。

 教育現場では、この批判に応える一方法として学校開放を実施しています。閉鎖性を少しでも減らしたいとして採用していますが、十分と思えないところもあります。もし、不足部分があるとすれば、次の二点ではないでしょうか。

 まず、現場の教師の声が聞こえる学校開放でない。次に、開放が学校や教師の主体性を十分に伝える機会になっていない―ということです。

 昭和三十―四十年代には各地で多くの教育実践が行われ、学校開放がなくても教育の主張が市民レベルまで浸透し、多くの教育的話題を提供しました。一部に、いまだ評価の定まらない部分もありますが、教育への熱い情熱が伝わる時代でした。課題解決に向けた教育実践なくして、地域に開く意味はないのではないでしょうか。

 また、学校開放は学校、教師の主体性が確立した中で行われ、学校、保護者、地域の三者が共通の教育課題に向かって連携する場所になることで、初めて開放の意義が存在します。

 一昨年、群馬に教育学部を残す会により県民レベルからの教育問題が提案された折には、教育現場が前述した三者の連携とは逆行するような鈍い反応でした。広い視野から教育を考えようとする力の不足を如実に示す結果となり、残念でした。

 さて、主張や主体性の根本には、研修や研究に裏打ちされた自信が必要です。しかし、学校や教師が今日の多忙な中で研修や研究に取り組み、教育論を主張し合う自信を持つことは困難で、技術論か得意領域のスタンドプレーで主体性をアピールするしか方法はないようです。しっかりした授業の事前研究を確保するにも、週五日制は大いに問題があると思います。

 教師の主体性を育てるには、教師一人一人の個性を大切にする必要があり、一人一人がそれを磨く時間的ゆとりを大切にする環境がほしいと思います。その環境が失われ、研修を否定的に見る風土があるとすれば、誠に遺憾なことだと思います。

 甘楽町出身の教育者、宮川静一郎の言葉を借りれば「イジケタ教員が/イジケタ教育を/児童生徒に施し/イジケタ国民が出来る」。そのような教育にならないためには専門性を高めつつ、自信を持って教育の理念を主張し続けることが大事だと思います。

(上毛新聞 2005年9月15日掲載)