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写真家 吉田 敬子さん(東京都中央区)

【略歴】前橋市出身。東京工芸大卒。村井修氏に師事し門馬金昭建築写真事務所入社。87年スタジオヨシダ建築写真事務所設立。01年県庁で写真展開催。

積丹半島の「番屋」建築


◎ニシン漁に賭けた結晶

 近世から近代にかけて、北海道の住まい文化でユニークな展開を見せたのは、漁村でした。小樽に行く機会を得た私は、以前から気掛かりだった「番屋」建築を探索してきました。北海道の西側、日本海に突き出る積丹半島の一帯は、江戸時代から明治へと、ニシンの大群で栄華を極めた所です。漁場の経営者は「大宅(おおやけ)」と呼ばれ、漁期にはヤン衆(出稼ぎの漁夫)など多くの労働者を雇い権勢を誇っていたそうです。

 そのヤン衆たちの寝泊まりする漁場施設を「番屋」と呼び、漁夫を使う親方の住まいも宿泊部の一棟に収めていました。ニシン漁の時期は三月上旬から五月と二カ月余り。網を仕掛けた場所にニシンの群れが来れば、一日一億円ともいわれ、巨額な収入が親方の手元に入ったのです。短期大量漁獲のニシン漁は、ギャンブルのようなものだったのです。機屋の繁盛したガチャ万時代、いやそれ以上だったようです。経営規模が拡大し、独特な「番屋」建築も発展し、明治後半には特異な外観と壮大な空間をもって「ニシン御殿」と呼ばれる建築が出現したのです。

 経営者たちは豊富な資金を利用し、母屋を中心とする番屋、蔵などの大規模な施設を海に面した各地に建設していきました。積丹半島巡りは時間的に無理だったので、最盛期には六十棟もあったという余市を訪ねました。明治二十年代には市内一の漁場経営を誇っていた旧余市福原漁場です。現在は市が所有し、一般公開されています。当時、建物の前面は海までが敷地で、主屋・文書蔵・石蔵・米味噌(みそ)倉・網倉などがあり、壮大な番屋・ニシン御殿です。

 春限られた一時期に、大量の労働力を必要としたニシン漁が生み出した北海道独特の民家形式です。建物の外観は特徴的な大屋根中央の切妻造りの天窓、伽藍(がらん)調を帯びた大屋根の庇(ひさし)、豊富な道産の木材を使った梁(はり)や柱など、大空間はニシン漁のダイナミズムを伝えていました。ニシン漁家は、豪放磊落(らいらく)な家が多く、宵越しの金は持たないといった腹の太さがあり、蓄えはほとんどしなかったそうです。

 そのため、不漁になるとほとんどの家が没落してしまい、かつて「北の米」といわれたニシンも、昭和三十年を境に姿を消し「幻の魚」となってしまいました。残された建物は規模の大きさゆえに維持も困難で、多くは消滅してしまったそうです。けれど、余市の住民や所有者の熱い思いで保存され、新たな命が吹き込まれた番屋もあります。資料館や民宿などに活用され、訪れる人々に感動を与えていました。

 漁業関連の建築物として顕著な証左である番屋は、ある時代の文化・産業を代表している建物です。北海道の自然の厳しさを肌で感じながらも、ニシン漁に賭けた親方の執念、生き抜くための漁夫たちの精神力、その結晶のように見えました。厳しさゆえに、心の安らぎを与える壮大な空間「番屋」から力強い生命力と、先人の歴史と知恵を学び、あらためて日本の文化・産業を伝え残していこうと思いました。

(上毛新聞 2005年9月21日掲載)