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高崎里山の会代表 瀧田 吉一さん(高崎市石原町)

【略歴】東京生まれ。61年高崎市に移り住む。私塾「草の実会」主宰。市緑化審議会委員。高崎緑化ハンドブック「榎の精の話」「赤松の精の話」など執筆。

都市緑化


◎街路樹は単なる装飾か

 日本の国土は、その独自な気候・風土から考察して、砂漠とは世界中で最も無縁の地域である。裏山の雑木林や植林地を切り払い、そのまま放置しても、人間にとって住みよいか、住みづらいかは別にしても、幸せなことに、すぐに緑がよみがえる。

 しかし、そのような日本であっても、そこに住み着いた人間が、勝手気ままな行動を取っていけば、日本の自然界といえども、砂漠化とは決して無縁ではなくなる。

 われわれ人間が築いたビジネスと居住空間の都市化は、建造物の高層化と面積に比例して蓄熱量が増大し、衆知の通りヒートアイランド現象を惹じゃっき起している。その意味でも都市は緑の少ない、ほこりと排気ガスの舞う砂漠といってよいだろう。

 現在、地球上には大きな砂漠が各地に広がっている。しかし、そのすべてが自然として、もとからそこに、そのような形で存在していたわけではない。砂漠の中には、古代の遺跡が発見されている。これを見ると、なぜ、このようなところに、好んで人が住んだかと思いがちだが、それは大きな間違いで、そこに人が居住していたころは、一面肥ひ沃よくな大地であったはずだ。遺跡の存在は、居住人口を養うに足る豊かな土地があったという証左だ。

 しかし、長い時の流れの中で、住民は人口増加・気候変動と戦い、生きるために徹底した自然からの収奪を繰り返すことになる。結果、土地は荒廃し、移住を余儀なくされ、かくして、その地での人間の生活は滅び去り、廃虚だけが残った。

 地域の緑化には、一定の面積空間内で人口が増加を続ける限り、絶対に成立しないという性質がある。その半面、人間が減少するときは、ほっておいても環境は緑化の一途をたどる。すなわち、自然は遷移の過程を確実に踏みながら、緑の復元作業を進めていく。

 人間にとって自然は命である。しかし、自然は人間がいなくても滅ぶことはない。

 二○○八年、本県で「都市緑化フェア」が催される。しかし、一過性の「祭り」で終わるのでは、騒ぎが静まればまた元に戻る。

 長野県南安曇郡穂高町に「景観形成住民協定」がある。地域住民が景観保持に自らも責任を持ち、協力するものだ。

 現在、都市における街路樹は落葉整備のために徹底した剪せんてい定がなされ、ただ単に道路の「アクセサリー」の感がある。今さらの案でもないが、あえて例を挙げれば、点である植栽木を線として育成し、さらに歩道を広く二、三列植栽にすれば、広い緑地帯となり、車線の音を緩和し、やけた道路の熱をさえぎる。落枝、落葉の始末は地域住民協定を結び、都市環境を市民参加で創成が可能になる。

 また、現存の高層建築物の壁面緑化は、はなはだ無理があり、不可能に近い。新建造物に対して設計段階での壁面対策を義務づけるような法整備を考えるべきではなかろうか。

 今回を好機ととらえ、将来を見据えた緑化事業の礎とすべきで、企画と施策を望みたい。

(上毛新聞 2005年9月27日掲載)