視点 オピニオン21
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高崎里山の会代表 瀧田 吉一さん(高崎市石原町)

【略歴】東京生まれ。61年高崎市に移り住む。私塾「草の実会」主宰。市緑化審議会委員。高崎緑化ハンドブック「榎の精の話」「赤松の精の話」など執筆。

子供を育てる


◎教育は社会全体の反映

 だいぶ気温が低くなってきた。きりっとした秋の朝である。家の庭の草の上にツマグロヒョウモンのメスが一匹、疲れ果てた羽を広げて降りていた。

 このチョウは、熱帯広域分布種である。十年ほど前までは「関西では都市近郊に普通だが、それ以東の記録は迷チョウかその子孫の一時的発生」とされていた。幼虫期の食草はスミレ類であるから、ここ北関東の高崎周辺に定着しているとすれば、要因は食草分布うんぬんではなく、温暖化によるものだろう。

 その日、集まった子供たちに、このチョウの話をした。当然「何でそんなチョウがいたんだ」と疑問が出た。しかし、がやがやっと起きた騒ぎがすぐに静まると、いとも簡単に答えが出た。「台風に巻き込まれて飛んできたんだ。おれ、本で読んだことがある」「台風17号だな」。子供たちのチョウへの関心はそこで納得とともに消えた。南の地から飛ばされて来たであろうこのチョウが、これからの寒気の中で生き延びられるかと、命を案ずる雰囲気は生まれなかった。残念ながら情報収集能力はあるが知的好奇心に乏しく、情緒の世界が育っていない。

 現代の世相を見て、教育に危機感を感じないものはいないだろう。だが、学校教育だけを取り上げて議論しても解決には至らない。設備の立派な学校を、いくら造っても何の意味もない。何となれば、教育はとりもなおさず、社会全体の反映にほかならないからだ。

 人間としての基本的な価値観、思いやり、豊かな感性。それらを育てるのは両親であり、家庭である。そして、さらに近隣地域であり、社会全体である。

 今、子供たちの周辺から、自然が姿を消してしまった。もちろん、物理的な緑は存在する。しかし、その緑の中で時のたつのも忘れ、遊びほうける子供の姿はない。

 アリの行列を見れば、えいっやとばかり踏みつける。チョウやトンボを捕らえて虫かごに入れ、アマガエルを捕まえ、牛乳瓶に詰め込んだりする。やがて彼らはそれらの死に出合う。子供の持つ残虐性は、これら生き物たちの死をフィルターとして、やがて悲しみと思いやりの情感へと浄化されていく。

 教え育てるという原初の形は、親と子の関係のうちにある。いまの親は子に「こうしろ」と確信をもって言うことができない。世間体だけが教本で、親としての、子供を育てるという自信がない。「子は親の鏡」である。誰が何と言おうと、あなたのお子さんはあなたが育てたのだ。そして人間の生きざまを映す鏡は社会である。親も社会も、いまこそ己を律するところから始めなければならない。

 「チョウは、それからどうなったのかな」。最後まで一人残っていた、わんぱく坊主がつぶやいた。そういえば、私はチョウの結末を、話していなかった。「最後の力を振り絞り、ぼろぼろになった羽で、あの屋根を越えて飛んでいったよ」「寒かっただろうな」。彼は小さな声で言った。チョウの死をじっと考えているようだった。

(上毛新聞 2005年10月27日掲載)