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群馬大学学長 鈴木 守さん(高崎市石原町)

【略歴】静岡県出身。千葉大医学部卒。東京大助手、東海大助教授を経て76年群馬大教授。同大医学部長、副学長を歴任、03年から現職。専門は寄生虫学。

多文化共生社会の教育


◎世界に成果発信したい

 アマゾンというと、水と原生林に囲まれた野生の王国がイメージされ、大自然に対する憧憬(しょうけい)を駆り立てるロマンがある。しかし、現地の人間社会には荒々しく厳しい現実もある。三十年も前のことになるが、私は初めてブラジルのアマゾンに赴き、マラリアの調査を行った。ある日、すでに暗くなった夜道を車で帰る途中、突然ヘッドライトに「止まれ。警察」と書かれた旗が照らし出された。日本人植民地が強盗団によって頻繁に襲われるので、夜ごとの警備を強化しているとのことであった。

 住民によって組織された自警団の銃撃訓練も行われていた。日本人農民は景気が良いという話が広まると、このような事態も起こることを知った。一九二九年にアマゾンの地で日本人入植の歴史が始まったが、悲惨なマラリアの流行が繰り返された。サンパウロで南米銀行の設立に携わった長老格の方からは、ブラジルに農業移民として来た当時、「日本人は血を飲む」といううわさがあって、現地の人から牛乳を売ってもらえなかったとの話も聞いた。

 さらに、港からコーヒー園まで外側から鍵をかけられた貨車で移送された日本の移民集団の話も聞いた。第二次大戦中は、ベレンにおいて何の罪もない日本人が焼き討ちに遭う事件が続いた。終戦当時、日本は勝ったと主張した「勝ち組」が、負けたのだと主張する日本人同胞を襲って殺害するテロ行為まで起こった背景には、大戦中の日系人に対する迫害があったのである。

 このような時代を経て、日本から移民した人々は必死に生き抜いてきた。移住地での苦労話よりも成功談が多く、日本に伝わってきたことにも、移民の方々の意地と誇りと気概をみる思いがする。八八年は日本移民八十周年の年であったが、犯罪の多いといわれる国で、日系人は一人も刑務所に入っていないことが誇りをもって語られていた。

 今、外国に移り住んだ人々の子弟が日本に来て働く時代を迎えた。本県はブラジルから「出稼ぎ」で来ている人々が多い。ブラジルの日系人二世、三世にはブラジル文化を身に付けて日本の社会で働いている。五十カ国以上の外国人労働者の子弟を擁する本県の小中学校等では、多文化が共生する社会における特別な教育上の取り組みも必要となる。

 このたび「多文化共生社会の構築に貢献する人材の育成」と題する群馬大学教育学部の取り組み課題が、優れた教育計画として文部科学省に採択され、多くの文化的背景をもった人々を交えた教育の在り方が検討されることになった。祖国日本を背負って、ブラジルをはじめ海外でご苦労された方々に少しでも報いるため、また世界各地で多民族共生の在り方が問われる現在、多くの心ある方々のご支援をいただいて、この課題に取り組み、その成果を群馬大学から世界に発信したいと念じている。

(上毛新聞 2005年11月8日掲載)