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群馬大学教育学部教授 山口 幸男さん(前橋市千代田町)

【略歴】茨城県出身。東京学芸大大学院修士課程社会科教育専攻修了。専門は社会科教育学、地理教育学。日本地理教育学会会長、日本郷土かるた研究会会長。

郷土かるた王国


◎世界各国へ文化発信を

 手元に「全国郷土かるたマップ」がある。本県に最も多くのドット(点)が集中し、次いで隣接する埼玉県に多く、本県がわが国における郷土かるたの最大中心地であることが明白に読みとれる。この分布図を立体的に作り直してみれば、本県が富士山のごとき一大高峰となってそびえることだろう。冬ならば、雲上の真っ白い頂が陽ひに光って輝いているさまが想像できるだろう。郷土かるた王国「群馬」が光っているのである。

 私はここ二十年近く、原口美貴子氏(群馬大学非常勤講師)とともに、本県及び日本全国の郷土かるたについて、さまざまな観点から調査・考察を重ねてきた。その結果、歴史、量、活動状況、普及浸透度のすべての点において、本県が他県の追随を許さないまさに「日本一の郷土かるた県」「郷土かるた王国」であることが明らかとなった。それを代表するのが日本一の郷土かるた「上毛かるた」、日本一の市町村かるた「富士見かるた」である。

 「上毛かるた」が日本一にまで発展した要因としては二つ考えられる。第一は、昭和二十二年という終戦直後の郷土が荒廃・困窮した切実な時代に作られたことである。県民は「郷土を荒廃から救おう」「子供たちに夢と希望を与えよう」という県同胞援護会のスローガンに共鳴し、郷土復興と子供の健全育成のために、かるたの制作、競技活動に一致協力して取り組んだ。郷土と子供へのこの純粋な愛情こそが発展の基盤になったのである。

 昭和五十年代以降の地方の時代と呼ばれる時期に全国各地で数多くの郷土かるたが作られるが、終戦直後のような切実な社会的要求はなくなっていたため、活動として発展していくものは少なかった。

 第二は、かるた大会等の活動が組織的に展開されたことである。活動が組織的に継続していくことによって、初めて郷土かるたの持つ意義・役割が人々に意識され、評価されていく。今日、上毛かるた大会を中心的に運営しているのは県子ども会育成団体連絡協議会だが、地区予選↓市町村予選↓郡市予選↓県大会に至る上毛かるた競技大会活動にかかわる人々の数、予算は莫ばく大だいである。これらの人々の献身的、ボランティア的な協力によって、かるた大会が成り立っていることを忘れてはならない。

 そもそも「かるた」とは、平安時代の貝覆い・貝合わせに端を発する世界に類例を見ないわが国独特のカード文化である。郷土かるたも、その一種である。郷土かるた文化の中心地である本県はその文化的価値を日本全国に普及していく役割を持つとともに、国際化時代の今日、わが国の伝統文化ともいうべき郷土かるた文化を世界各国に向けて発信していく役割をも担っているのである。郷土かるた日本列島の頂点に光る本県から、全国、全世界に向けて郷土かるた文化を発信していこうではないか。

(上毛新聞 2005年12月14日掲載)