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県接骨師会伊勢崎地区支部長 福田 敏久さん(伊勢崎市茂呂町)

【略歴】伊勢崎工業高を卒業後、84年に接骨院を開業。87年に父親が倒れたため、柔道場を継ぐ。01年に法人を設立して介護施設・ケア道場を開所。

町の柔道場


◎家族のような集合体に

 昭和一けた生まれの父が育ったころは遊びがなく、家事(農業)の手伝いか、今はない町の柔道場へ通っていたという。私が高校生だったころ、まだ柔道場と呼ばず布団の仕立て場だった所でよく話を聞かされた。

 そのころだろう。若かった父は、PTAや柔剣道などの団体役員を皆さんに推挙され、引き受けていた。そのせいか、登校拒否や心に少し問題のある子供、両親が仕事で忙しく一人でいる子供たちが、学校の先生などから聞いたのか、託児所のように集まっていた。

 布団の仕立てが終わると、一緒に片付けて柔道の練習を始める。仕立て場は道場になった。ときには宿題を一緒にし、片隅で寝込んでしまった子供を自宅に送り届ける両親の姿を見かけた。

 そんな父も、昭和六十二年に脳出血で倒れ、右半身がまひ状態となり、平成十年に他界する。倒れてからは不肖、私が道場主の二代目となった。

 当時、仕立て場を道場登録し、各種規約や月謝、大会への申し込み、その他行事などをすべて、道場に通う子供たちの父母や、父の柔道仲間の皆さんが企画運営していただいた。柔道だけでなく、いろいろな面でよく遊び、強さだけでなく、どこをとっても温かみのある大きな家族のような集合体だった。

 県内市町村でもスポーツ宣言都市などがうたわれ、公共施設を利用して教室を開催するようになった。団体が増えると当然、競争原理が働く。子供のみならず、父母、ときに指導者までがしのぎを削って不本意な態度を示してしまう。熱が入り過ぎ、過度の団結力の表れだと思うのだが、いかがなものだろう。

 現在、県内には十六の町道場がある。その団体に加盟している当道場も含め、道場主の悩みは生徒の減少に尽きる。歴史ある立派な道場、柔道が好きで始めた道場、成績にこだわり全国を目指す道場。みんなすてきな仲間で、立派な道場主の先生方だ。

 父が倒れ、引き継いだ私の道場は歴史もなく、見た目とは違って病弱者の私は、めったに柔道着を着ない。でも、柔道をする素直な子供たちが好きだ。汗をかき、一生懸命頑張る子。負けても勝っても、礼儀と節度を身に付けていく子。独りぼっちでなく、仲間がいて本気で向かい合っている道場なのだ。

 当道場の主管で、地元の幼稚園児から小学生までの選手権大会を開いて十年になる。今年は合併で新伊勢崎市が誕生し、新たな気持ちで大会を開催した。逆シード方式、学年階級別勝者によるリーグ戦は県内、いや全国でもこの大会くらいだろう。強い子は強いのだが、弱くても一生懸命けいこに励む柔道が好きな子供が一人でも多くなるよう応援したくて、毎年開催してきた。

 子供の周りが熱くならないと、励みにならないのかもしれない。が、子供の気持ちを無視した競争は、子供を迷わせたり、寂しい思いをさせたりするだけだ。模範を示してくれた父のように、温かい家族のような道場をめざして頑張りたい。

(上毛新聞 2005年12月26日掲載)