視点 オピニオン21
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オーエックス関東社長 生方 潤一さん(伊勢崎市東町)

【略歴】足尾町出身。元国際A級ライダー。92年に脊髄損傷後、伊勢崎市で車いす販売とレース参加支援の会社を創立。ぐんま障害者スポーツ・サポート“41”理事。

社会復帰へ


◎障害者となり壁を知る

 今回「視点」執筆を依頼され、少し戸惑いを受けた。自分には難しいかもしれないと思いつつ、障害というものの体験を僕自身の言葉でお伝えしたく、お話を受けることにした。一九九二年に不慮の事故で車いすなしでは生活のできない障害者へ変身した。今までの仕事はできなくなり、約一年間の入院生活で「障害者とは何ぞや」を考えさせられた。歩けない、現実を見据え、早く社会復帰をしたい。その思いでリハビリに必要以上に臨んでいたように思う。

 当然、入院中のリハビリは、動かない部分を治すためのものではなく、体の動くところを最大限に引き出すことを目的とし、車いすの操作など、社会に適応するためのリハビリが行われた。障害を負って初めて壁にぶち当たった。それは、ベッドから車いすに乗り移る大変さだ。体が重く、いうことを利かない。胸から下が動かない自分にとっては、腕だけの力で移動するしかない。当然か。実際、直面するまでは自分自身の体を動かすことくらい、たいしたことはないと考えていた。

 自分で言うのもおかしな話だが、けがをする前は仕事の都合で体を鍛え、ウエートコントロールもしていたので、自信があったのに、苦戦した。車いすに自由に乗って動けるようになると、さまざまな壁が見えてきた。階段だ。車いすで階段を上ったり、下ったりする訓練はしていた。しかし、実際直面すると、下りることはできても、上ることができない。当時の日本は段差が当たり前で、ユニバーサルデザインなどあり得なかった。たった一段が大きな壁だった。

 病院でのリハビリ用のお散歩コース。踏切もあり、線路のすき間に車輪が挟まりそうになり、用心する。こんな注意など考えたこともなかった。そして、社会復帰するためのさらなる壁。生活に絶対必要な自動車の免許。ここでも壁を感じた。取得していた免許資格は「原付・普通自動車・大型・大型特殊・けん引・自動二輪限定解除」。普通自動車免許以外すべて失った。残った普通免許はアクセル、ブレーキは手動式、そしてオートマ車に限られた。けがをする前に取った資格は喪失。結構つらかった。車に乗りたい一心で了承したが、後悔している。

 免許といえば、趣味で小型四級船舶も取得していた。けがをした当時は、障害者への免許を認めておらず、泣く泣く返上と思ったが、更新せずに記念にそのままにしておくことにした。現在は改正され、障害者でも免許を持つことが許可されるようになった。返上せずにいたせっかくの免許、いずれ更新に行こうと思っている。

 自動車もマニュアルを乗れる時代になっている。当時はけがを負ったことで、可能だと思われることまで「前例がない」を理由に許されないことが多かった。約一年の病院生活も終わり、自由になったはずなのにやはり自由ではない。この時期だったと思う。どうしたら、日常生活でも娯楽でも、障害を持っていても自由な空間を生き、楽しむことができるのかを考えたのは。挑戦欲と開発欲をこの時、蓄えた気がする。

(上毛新聞 2006年1月6日掲載)