視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
前橋演劇倶楽部代表 小平 人資さん(前橋市上新田町)

【略歴】群馬大学卒。公共ホール勤務を経て演出家となる。県民芸術祭運営委員、県地域創造基金運営委員、前橋デザイン会議委員。社会保険労務士。

ハムレット


◎現代の若者と重なる

 「生きるべきか、死ぬべきか。それが、問題だ」。有名なシェークスピア『ハムレット』の台詞(せりふ)です。『ハムレット』という劇は、冒頭に現れた父の亡霊が「自分は弟のクローディアスに殺され、王位と妃きさきを奪われた」と告げて、ハムレットが復讐(ふくしゅう)を誓うことからすべてが始まります。

 ところで、多くの人の抱くハムレット像は、いつまでも行動に踏み切れない優柔不断な哲学青年とか、深い憂うつに襲われている王子というイメージではないかと思います。ハムレットはデンマークの王子ですが、シェークスピアはハムレットを描くために、同世代の人物二人を登場させています。一人は隣国ノルウェーの王子フォーティンブラスで、もう一人はハムレットの恋人オフィーリアの兄レアティーズです。ちなみに、この二人の兄妹の父ポローニアスは、偶然の過ちから、劇の中でハムレットに剣で刺し殺されてしまいます。

 デンマークはハムレットの父親の時代にノルウェーを征服しました。そして今、繁栄の時代を迎えているのです。ハムレットは豊かな国に生まれ落ちた王子で、生まれた時にはなすべき仕事は終わってしまっていたのです。一方、フォーティンブラスには、父親の時代に失った祖国の名誉を取り戻すという重い仕事が与えられています。軍隊を組織して攻撃準備するフォーティンブラスに対して、ハムレットには最初から生涯の課題が与えられていないのです。

 ハムレットの性格はレアティーズとの対比によって一層はっきりします。激情の虜(とりこ)であるレアティーズは父親をハムレットに殺され、それが原因で妹オフィーリアが狂死したと知ると、迷うことなく復讐(ふくしゅう)に立ち上がります。見境なく行動する激情家なのです。

 この劇を注意深く読むと、ハムレットは優柔不断で意志の弱い人間というよりも、理性と激情の間で引き裂かれ、復讐の正義意識に苦しみ、本当に何に立ち向かったらよいのか分からない人間であったといえそうです。

 自分自身が何物であるか分からず、しかも誠実に自分自身でありたいと願っている姿は、現代の若者の姿と重ならないでしょうか。復讐からスタートしながらも、自分の存在のあり方を考え、自分の今あるべき姿を模索してしまうところに、この劇の今日性があるのだと思います。豊かな社会に生きながら、人生に対して能動的になれない今日の若者の精神状況は、長い歴史のなかでは特別なものではないような気もしてきます。

 『ハムレット』には、最終幕に、もう一つ重要な台詞があります。ハムレットがレアティーズとの剣の試合に臨むときの台詞です。「雀(すずめ)一羽落ちるにも天の摂理が働いている。いま死が来るのなら、あとには来ない。いま来なくても、いずれは来る。覚悟がすべてだ。(中略)放っておけ」

 今この瞬間をどう生きるべきかと悩んでいたハムレットは、最終幕にきて、人は神の御手の中で生かされていると思い至ります。そして、自分の力だけに頼るのではなく、運命の力の存在を受け入れて、神の御心のままに生きようという考えに至ります。不安や懐疑や弱さを抱えながら生きている私たちに、ヒントを与えてくれる台詞ではないかと思うのです。

(上毛新聞 2006年1月25日掲載)