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前橋国際大学名誉教授 石原 征明さん(高崎市筑縄町)

【略歴】国学院大大学院博士課程日本史学専攻。県地域文化研究協議会長、「21世紀のシルクカントリー群馬」推進委員。著書に「ぐんまの昭和史上・下」など多数。

シルクカントリー群馬


◎すそ野が広い産業構造

 シルクカントリー群馬―。群馬は絹の国である。生糸の輝きと、絹の柔らかな手ざわりは、人々を魅了してやまない。吉井の多胡碑も絹織物に関係しているし、中世には日野絹や仁田山絹があり、古くから絹がつくられていた。

 今、富岡製糸場や新町屑くず糸いと紡績所などを中心にして、世界遺産をめざす運動が展開されているのは喜ばしい。住民運動は大いに盛り上がり、県や市の世界遺産にかける努力もめざましいものがある。

 生糸は輸出の花形として世界にはばたき、多くの外貨を獲得した。外貨は日本の近代化を推し進める資本となり、日本の産業革命に大きな役割を果たした。

 明治の初め、政府は殖産興業のために官営模範工場をつくった。群馬には富岡製糸場と新町屑糸紡績所の二カ所が設立された。それは東京の四カ所に次いで全国で二番目に多い数であった。しかも、両方とも生糸に関係した工場であり、シルクという大きな特色を持っていたのである。

 繭からとれる一本の生糸は、良い部分もあれば良くない部分もある。真ん中の部分が太さのそろった良い部分であり、初めと終わりの部分はあまり良くない。また、繭も良いものもあれば悪いものもある。

 富岡製糸場は、良い繭の良い部分から精良な生糸をとる模範工場であった。新町の紡績所は、そのままでは良い糸になりにくい「屑糸」を、紡ぐという工程を加えることによって価値のある絹の糸にする工場であり、資源を無駄なく活用する「優れもの」であった。富岡も新町も、同じシルクの生産にかかわっていたが、それぞれアイデンティティーがあったのである。

 しかも、この二つの模範工場の建物は、それぞれ特色ある姿で、ほぼ創業当時のまま残されている。関係者がこれまできちんと保存していてくれたからである。産業遺産の宝物として、世界遺産に登録されるために残してくれていたような気さえする。

 さらに群馬には、農民が共同して優良な生糸を生産し、輸出に活躍した碓氷社、甘楽社、下仁田社などの組合製糸があったし、資本主義的生産を行った交水社などの営業製糸もあった。養蚕や蚕種に関するものも多くあり、これも忘れることはできない。

 また、絹織物として名を高めた桐生織物や伊勢崎銘仙なども大変重要であって、のこぎり屋根の建物や機械器具などが保存されている。シルクに関する産業はすそ野の広い総合的な産業構造を持っていたのである。

 こう考えてくると、群馬には古くから絹を生産してきたという歴史的な縦の流れと、すそ野の広い横のつながりのなかに、総合的な産業遺産がいくつも存在しているのである。これを生かしていくチャンスは、今しかない。富岡や新町の模範工場を二つのピークにして、日本を代表する産業遺産として世界遺産に登録されるよう、ねばり強く世界に訴えていかなければならない。

(上毛新聞 2006年2月17日掲載)