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司法書士 樋口 正洋さん(太田市浜町)

【略歴】明治大卒。司法書士。群馬司法書士会理事。東上州三十三観音霊場会会長。太田中央ライオンズクラブ前幹事。群馬法律学校元講師。東京地方検察庁元事務官。

霊場巡りの意義


◎観音の慈悲で素直な心

「八十九歳の車椅子(いす)の母親といっしょに、東上州を巡ります」
 「若くして亡くなった娘の供養のため、東上州を巡ってみたいと思います」
 平成十五年に東上州三十三観音霊場会を設置してから、事務局にはたくさんの便りが寄せられた。
 そのほとんどが、秩父三十四カ所や坂東三十三カ所をすでに巡った経験があるが、今度は東上州の霊場を巡ってみたい、また、このような近場に霊場があるとは知らなかった、というものである。
 その中には、一人で巡る人もいるが、夫婦で、または気の合った仲間同士で巡る人も多い。また、団体バスツアーを希望する人もたくさんいる。
 それらの人たちは、やはり何らかの目的があって巡るのである。信心はもちろんのこと、心身の健康、また歴史研究や観光のためなど、目的はさまざまである。その中で冒頭に挙げたように、心を打つ深刻なものもある。
 本来、観音霊場巡りというのは、現世利益という観音の御利益が得られることを願って、旅に出るものである。
 自分は途中で行き倒れになってもよいが、残された家族には観音の慈悲深い救いがあるように…。また、亡くなった人の成仏を願うとともに、自分がこれからの人生において立派に生きられることを願って…など、数え上げればきりがない。
 実際、霊場巡りを経験してみると、心が感謝の気持ちで満たされる。出会う人々が皆、親しい仲間のように感じてくる。それが、人の本来の心なのである。このように素直な心になれるのは、やはり観音の慈悲なのかもしれない。
 最初に挙げた車椅子の母親の便りを頂いた方から、再び手紙がきた。開いてみると、丁寧な文字が便せんいっぱいに書かれてあった。
     ◇
 先日、母が亡くなりました。母は生前、東上州の霊場を巡ることができたことをたいへん喜んでおりました。
 車椅子のため、高い階段や石段を上ることはできませんでしたが、お寺の門前で手を合わせました。
 母の顔は、手を合わせるたび穏やかになっていったようです。最後の札所は、峠の麓(ふもと)で観音に祈りました。満足そうな母の顔にうれし涙がひとすじ流れていたのを、憶おぼえています。
 東上州を満願できて、母も悔いはなかったかと思います。今度は、自分が一人で東上州を巡ってみたいと思います。東上州の寺院には、あちこちに母の面影が宿っています。それを一つ一つたどりながら…。そのことが母の供養にもなると思っています。
 このようなすばらしい霊場を紹介してくださった関係者の皆さまに、感謝をしております。季節柄、どうかお体をご自愛ください
     ◇
 わたしは、涙が止まらなかった。その方に感謝するとともに、東上州の霊場を復興させて本当によかった、心からそう感じた。

(上毛新聞 2006年3月8日掲載)