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前橋演劇倶楽部代表 小平 人資さん(前橋市上新田町)

【略歴】群馬大学卒。公共ホール勤務を経て演出家となる。県民芸術祭運営委員、県地域創造基金運営委員、前橋デザイン会議委員。社会保険労務士。

チェーホフの会話


◎転換期の人間見つめる

ロシアにチェーホフという劇作家がいます。ドストエフスキーやトルストイとほぼ同時代の作家ですが、神や原罪などといった重厚なテーマを扱う二人と違い、ありふれた人々のとりとめのない会話で組み立てた戯曲で悲劇と喜劇を描き出し、時代にアクチュアルにかかわっていた作家です。そして、その作品は百年を越えた今でも世界中で読まれ、世界中の舞台で上演され続けています。なぜチェーホフの作品はこれほど広く愛されているのか、考えてみたいと思います。
 チェーホフの代表的な戯曲に『三人姉妹』があります。モスクワから遠く離れた地方都市に暮らす三人姉妹が、かつて育ったモスクワに再び戻ることを夢見ています。月日は流れ、いまだに夢を捨て切れないでいますが、空虚なかげりはますます強くなっていきます。劇中では駐屯する砲兵隊の士官との許されない恋を軸にさまざまな出来事が起こりますが、ある日、突然、砲兵隊の移動が通告され、姉妹を残して軍隊は去っていってしまいます。
 去っていく軍隊の行進曲を遠くに聞きながら、長女のオーリガが幕切れに言います。「…ああ、可かわい愛い妹たち、私たちの人生はまだ終わっていない。生きていきましょう。音楽があんなに明るく、あんなに幸せそうに響いている。もう少しで、私たちも何のために生きているのか、何のために苦しんでいるのか、わかるような気がする…それがわかったらね、それがわかったら!」。よりよい生活を強く思慕し、それぞれが強く生きようとする姉妹の祈りにも似た台詞(せりふ)です。
 ところが、チェーホフはここで劇を終わらせないで、この台詞を混ぜ返すような台詞を付け加えるのです。軍医のチェブトゥイキンに「(そんなことわかったって)どうせおなじことさ」とつぶやかせるのです。つまりチェーホフはオーリガの方にもチェブトゥイキンの方にも重点を置かず、どちらが正しいとも言わないのです。こうすることで『三人姉妹』は二つの主張、二つの人生を描く両義的な劇になるのです。
 ところが、ロシア革命後のスターリンの政治体制下での『三人姉妹』では、このチェブトゥイキンの台詞はカットされて上演されました。芝居全体が二義的でなく、明るい未来への志向一本にまとめ上げられてしまったのです。では、そのように社会主義的にアレンジされた芝居が見るに堪えないものになってしまったのかというと、実はそうでもないのです。重大なカットでありながら、それでもなお全体が損なわれないポリフォニック(多声的)な魅力がチェーホフ劇にはあるということなのだと思います。
 チェーホフは、十九世紀から二十世紀初頭にかけて帝政の崩壊を予感しつつも、新しい時代への展望を持ち得ない時代の中で生きた作家です。そしてその作品は、転換期における普通の人間のあるがままの生活を見つめた描写にあふれています。今日、チェーホフが多くの人たちに愛されているのは、二十世紀から二十一世紀にかけての転換期に生きる私たちが、やはり新しい時代への展望を持ち得ない切実な思いを、チェーホフのさりげない会話の中に聞こうとしている、ということなのかもしれません。

(上毛新聞 2006年3月21日掲載)