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高崎経済大学非常勤講師 吉永 哲郎さん(高崎市竜見町)

【略歴】国学院大文学部卒。高崎経済大、前橋国際大の非常勤講師。源氏物語を読む「蘇芳(すおう)の会」主宰。

今春の高校卒業生へ

◎脳の健康に気配りを

 三月は卒業式シーズンです。街で卒業生の姿を見かけますと、半世紀も前になってしまった高校卒業のころを思い出します。ただ、今年の高校卒業生については「隔世の感あり」と文語的表現をしたくなることがあります。といいますのは、平成十五年度から実施された高等学校学習指導要領による教育を受けた初めての卒業生だからです。では、どうして「隔世の感あり」と感じたのかと申しますと、次のようなことからです。

 十五年度からの指導要領では、国語科は「国語総合」か「国語表現I」のいずれかを必修科目とすればよい、ということに定められました。具体的に説明しますと、「国語総合」には古典が含まれていますが、これまでの「国語表現」と「現代語」の内容を再構成した「国語表現I」には古典の学習が含まれていないのです。つまり「国語表現I」を履修科目とした生徒は、高校で古典の学習を全くしないで卒業していくことになります。

 こうした生徒がどれほどいるか分かりませんが、「言語教育としての国語科教育」の中での古典教育の存在意義を全く失ってしまう一つの現象に不安を感じ、また、古典を当たり前に高校で学習してきた者にとって、古典を学ばずに高校を卒業することができる現実を前に、時代の移りを感じます。

 高度経済成長を控え、産業界からの実用性重視の要望を背景に、昭和三十五年に学習指導要領の改定が行われましたが、この時、古典の最大履修可能単位数の十七単位が八単位に減りました。そして、四十五年の教育課程審議会では、古典を高校教育の必須科目から外すことも話し合われました。古典を学ぶ高校生が減っていき、今年のように全く学ばない高校生が存在するという現象について、教育に関心が強い人が多いにもかかわらず、このことに関しての発言はあまり耳にしません。

 ということは、現実生活に無縁な古典の教育は不要とする現実主義的傾向が強いためでしょうか。確かに大学入試問題を意識し、現代語と離れたややこしい文法中心の古典の授業に、辟易(へきえき)させられた経験をお持ちの方は多いと思います。

 常に不確実なことにさらされて、人間は生きています。不安、喜び、恐怖、退屈という感情は、この不確実な現実にうまく対処していく、脳の働きのことだといわれています。ただ気になることがあります。身体の健康のために運動や食べ物などに気を配りますが、脳の健康に関しては考えることはあまりしません。

 そこで、唐突なものの言いようですが、この春卒業した高校生諸君に申し上げたいのです。脳科学者、茂木健一郎さんの言葉ではありませんが、良い本を読み、未知なる古典の世界を旅して、脳の健康に怠りなく気配りをしてほしいのです。


(上毛新聞 2006年3月28日掲載)