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高崎健康福祉大学非常勤講師 三井 久味子さん(高崎市石原町)

【略歴】高崎塚沢中校長などを経て高崎市教育研究所長。現在、女子栄養大(埼玉)、高崎健康福祉大の非常勤講師。エイズ教育の啓発に取り組む。

優先シートで思う


◎痛みを共有する心を

 今年から東京の駒込にある大学で講義をすることになり、高崎駅からどの路線で通うのが有効か思案した。その結果、快速「湘南新宿ライン」で池袋まで出て、山手線で駒込までを選んでみた。ボックス型でない電車はどこも空席。私は三人掛けのシートに腰掛けた。

 幾つかの駅を通過するたびに乗客が増え、目の前に立ちはだかって視界が遮られた。どの辺りを通過しているのかと後ろを振り向いた瞬間、ここに座り続けてきたことに後ろめたさを覚えた。私の頭の後ろには「優先シート」と書いてあるシールが張られ、四つの絵(つえをついている老人、松葉づえの姿、小さな子供を抱いている母、妊婦)とコメントがあった。新幹線を利用することが多かったためか、気付くことがなかった。

 四半世紀前までは、こんなシールは不要だった。四つの内容は誰もが当然の事として受け止め、その感性が譲るという行為を生み、相互に心が通い合った。今、目の前にシールが張ってあっても、人々は無視してしまい、弱い人の心に気付かないでいる。それほど人の心は鈍感になってきている。大事なことを学習させてこなかった。

 私の右隣も、その隣も、十歳代の後半とみられる少女が知ってか知らずか、どっしりと腰を下ろし、頭を垂れ、どうやら深い眠りに入ってしまったようだ。一駅ごとに増える乗客、人ひと熱いきれと列車の振動のまま複雑に動くつり革にぶら下がる人の群れ。そうした情景と優先シートに座り続けてきた罪悪感が絡み合って、心の均衡が揺らぎ始めていた。

 小田原まで行く電車は通勤客ばかりではないようだ。小旅行を楽しむ人も入り交じっている。気が付くと、少女の前に振動に身を任せているリュックサックを背負った初老の二人連れが、戸惑っている私を恨めしそうに見ている。私はとっさに視線を離し、隣の少女のように頭を垂れて言い訳を探していた。私自身も六十五歳を過ぎ、初老といわれる年齢になったのだ。十代の少女が眠りから覚め、目の前にいる初老の二人連れに席を譲ってくれたらうれしいと願い続けた。しかし、しょせんかなわぬことと分かっていた。

 電車は次の駅に止まった。人がどっと押し出され、押し合いながら入ってくる。立っている人の足と座っている人のひざが擦れ合って、電車が走り出した。私は東京に近づいたころ、やっとの思いで立ち上がった。初老の二人が譲り合い、一人がきまり悪そうに座った。

 私は何と言うことなく吉野弘の詩「夕焼け」が浮かんできた。「いつものことだが/電車は満員だった」で始まる詩は、うつむいて座っている娘が、目の前に立つ年寄りに何度も何度も席を譲り続ける情景を描いている。作者は「やさしい心の持ち主は/いつでもどこでも/われにもあらず受難者となる。/やさしい心の持ち主は/他人のつらさを自分のつらさのように/感じるから。…」とつづる。

 夕焼けも見ないで私は池袋で降りた。二人の少女はまだ夢の中にいた。嘆いても悲しんでも、痛みを共有する心を取り戻すことは容易でない。しかし、みんなが意識し、あきらめずに心に訴える教育をし続けることしかない、と思っている。












(上毛新聞 2006年4月21日掲載)