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前橋カトリック教会主任司祭 岡 宏さん(千代田町萱野)

【略歴】韓国ソウル生まれ。福岡サン・スルピス大神学院卒。89年から現職。著書に「泥沼の中にある福音」「遮られた非常口―あるつっぱりたちの記録」などがある。

少年院送りの番長

◎人と出会って立ち直る

 「息子を預かっていただけないでしょうか。今、鑑別所にいるのです」「本人が望むのなら、鑑別所から手紙でぜひお世話になりたいと便りを書かせてください」

 「もう、時間がありません。預かっていただけなければ、息子は少年院送りになるのです」「本人が望み、それが本人のためになると判断されれば、審判は待っていただけます。私のところは格子があるわけではありません。お世話になりたいという意志のない子は迷惑です」

 電話の向こうから、母親のすすり泣く声が聞こえてくる。「お母さん。少年院は大変なところです。でも、息子さんがどこで立ち直るかが問題です。少年院まで行かなければ立ち直れない子もいます。行かなかったため、もっと悪くなった子もいます。キリストは言いました。あなたの手や足が罪を犯させるならば、切り取って捨てなさい。両手足がそろったまま永遠の地獄の火に投げ入れられるよりは、片手足で天国の永遠の生命に入る方がましである」

 私も最初は少年院行きと聞き、かわいそうと同情して預かったことがあるが、本人は自分がそんなに悪くないので少年院送りが免除になったと思い、感謝もせず、結局はもっと悪いことをし、特別少年院行きの“エリート”になった場合がある。

 少年院は罰や償いで行く所ではない。少年法は教育法である。悪い少年でもよい引き取り手があれば、少年院行きよりもよいと判断されれば、見送られることがある。

 私は少年院よりも立派な指導はできないから、よっぽど決心して「よくなります。お世話してください」と頭を下げない限り、「少年院もよい所です」と勧める。

 大きな暴走族の番長をし、他の暴走族とコンビニで争い、店をめちゃくちゃにした十七歳の少年が、少年院から「もう格子と手錠の生活はいやです。お世話になりたい」と手紙をくれた。本物だと思った私は「少年院から家に寄らず、真っすぐ私の元に来なさい」と返事をした。

 クリスマスの日、忙しい時に彼は少年院を仮退院してきた。暗い顔をしたこの少年は道を歩く時、つばをぺっぺと吐く。私は何も期待をしなかった。よい子だと思って一生懸命お世話をすると、とんでもない子で裏切られた思いをすることが今まであった。ましてや少年院に行った悪だと、望まざるクリスマスプレゼントをこう判断した。

 少年院の中では、忍耐心のない子に進学は勧めない。すぐに役立つ手仕事を身につけるため、大工の見習いになることを勧められた。しかし、彼は教会の中で医者や大学教授やいろいろな人、多国籍の人などとの出会いで、人生を変えていった。中断した高校を卒業し、通信制の大学へと進学した。












(上毛新聞 2006年5月4日掲載)