視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
8・12連絡会事務局長 美谷島 邦子さん(東京都大田区)

【略歴】正式名称は日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故被災者家族の会。事故で二男の健君を亡くした。現在、精神障害者共同作業所の施設長も務める。精神保健福祉士。


報道を契機に

◎人と出会い励まされる

 「精神障害者の共同作業所について教えてください」と統合失調症で悩む方々から手紙が届く。昨年の夏は、日航ジャンボ機墜落事故から二十年ということで、多くの報道があった。その中で、私が共同作業所の仕事に触れたせいだろうか。

 統合失調症は、まだ世間から偏見の目で見られがちで、支援にも地域格差がある。その上、四月から障害者自立支援法が施行され、障害者の医療負担がさらに増し、共同作業所に通所するにも費用負担がかかってくる。障害者が、街の中で自分らしく生き生きと生活したいという願いが、押しつぶされそうな現状に直面している。寄せられた手紙からは、わらにもすがりたい気持ちが伝ってくる。報道はこうして人々の輪を広げ、出会いの扉を用意してくれる。

 日航機事故の遺族たちは二十年間、いろいろな報道をされてきた。事故の日から個人のプライバシーが形にされる。その後の反響等を考えると、ストレスが増していく。触れられたくないことが誰にもある中で、ある日突然、報道の被害を受ける立場になる。

 事故から二カ月目の藤岡の合同荼毘(だび)で、マイクが私にも突然差し出された。亡くなったのはどなたですか? 今のお気持ちは? そんな当たり前の質問に、心は黒い手に握りつぶされたように凍った。亡き子の姿が頭の中をぐるぐる回る。ただ、そっとしておいてほしかった。報道に求めていたのは「事故はどうして起きたの?」「再発防止はどうしたらいいの?」に対する答えだけだった。今も、その気持ちは同じだ。

 事故から四カ月後に遺族会を結成した。メディアに取材されることで、多くの励ましもいただいた。特に、群馬県の方が多かった。遺族会では、それを機関紙『おすたか』に載せ、全国の遺族に配った。毎年、事故現場の御巣鷹山で慰霊演奏をする高崎アコーディオンサークル、灯籠(とうろう)流しを一緒にしている藤岡の方々との絆(きずな)も、こうした報道から始まった。この出会いが、遺族にとって確実に新しい一歩になっていった。

 被害者の報道について、匿名か実名かでいろいろな意見に接する。取材者が人権やプライバシーに配慮するのは必要なことだ。その上で、取材目的が「再発防止」ならば、実名報道も望ましいと思っている。遺族が負担に感じないシステムづくりを急ぐべきだと思う。そして、なぜ実名なのかを、社会に理解を求める努力をメディアがもっとしてほしい。報道の自由は社会の信頼があってこそ、成り立つものだから。

 そして、報道のされ方によっては、人と人とのつながりが断ち切られることもある。心の傷は月日に比例して癒やされるものではないことをもっと知ってほしい。相手の立場になってのデリケートな取材が常に望まれる。

 私は、事故を風化させたくない。そのことが事故への抑止力を生むと考え、取材に毎年応じている。二十年前、報道を通じて遺族会にいただいた多くの励ましと、最近の統合失調症の方々からのお便りは、報道をきっかけとした空からの贈り物だと思っている。











(上毛新聞 2006年5月9日掲載)