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中央ユーラシアクラブ群馬事務局長 後藤 康子さん(前橋市西片貝町)

【略歴】共愛学園高卒。中央ユーラシアクラブ群馬事務局長。中央アジア・コーカサス研究所理事。日本ウズベキスタン協力委員会委員。インテリアゴトウ取締役会長。


騎馬勢力・群馬

◎キルギスと夢の共有を

 本年二月、小寺弘之知事と高木政夫前橋市長を表敬訪問されたキルギス共和国のクタノフ・アスカル在日特命全権大使は日本人と間違えるほど、そっくりな方である。

 キルギスの国旗は、ユルタ(遊牧民族移動住居)の天窓を中から見た状態を図案化した。ユルタは仕切りのない空間に約束ごとがあり、中央はストーブ、奥の正面は長老の席、その壁際にはスンドックという長持ちが置かれ、その上に先祖の写真を飾ったり、細長い布団を置く。

 入り口の右手は調理場など女性の場所。左手が男性の場所。床はフェルトやじゅうたんを敷き詰め、スンドックのほかは家具らしい物はない。貯蔵用、運搬用に大小さまざまな収納袋を使用。生活用具はすべて小型、軽量、簡便、堅牢(けんろう)であり、移動を繰り返す必須条件となっている。無駄なものはなく、質素ではあるが、植物、動物をモチーフにした模様は大変美しい。

 一九九五年八月、キルギスのマナス大王千年祭に参加した折、ユルタに三泊した。半日ほどのハイキングには、全く知らないユルタの住人から声をかけられ、クミス(馬乳酒)、クルト(馬のチーズ)、主食の一つナン等をごちそうになった。五、六歳の子供が巧みに馬を乗り回す、立派な騎馬民族である。馬、羊の放牧を見ながら大自然を満喫した。今ではかつての遊牧形態と違い、村に家屋を持って普通に生活し、春から秋にかけて天山山系の標高差を利用し、特に夏季には高度を上げて草場(ジャイロ)を求めて移動する。

 リゾート地、イシク・クル湖は天山山脈の支脈クンゲイ・アラ・トーとテルスケイ・アラ・トーに囲まれた「天山の真珠・キルギスの海」といわる山岳湖。イシク・クルの名は「熱い湖」(厳冬期も湖面は凍結しない)の意味を持ち、周辺地域や湖底から温水がわき出している。キルギス人には温泉を楽しむ習慣がないので、温泉宿がないのが残念である。

 九五年一月十三日付の上毛新聞に、キルギス中央銀行最高顧問だった田中哲二氏が「親日国キルギス共和国・国づくりに参加して」と題したリポートを寄稿していた。

 そのリポートで、田中氏は、日本とキルギス共和国との人的往来はまだまだ浅い。米国は大使館やUSAID(米国際開発局)、平和部隊(百人単位)による各種援助活動が農村にまで入り込んで活躍している。日本からは経済援助が供与され、当地では大いに評価されているが、技術、文化移転の観点からは、人的往来の一層の拡大が重要である―としている。

 また、田中氏は、青少年期を過ごした郷里の群馬県に思いをはせれば、大和朝廷成立前後の上毛群馬の地はおそらく騎馬勢力の一大根拠地であったに違いない。ならば、同じ騎馬の国の人として歴史的なタイムスパンで何らかの夢の共有があってもいいのではないか―と言っている。私も同感である。

 シルクロード夢追い人、加藤九祚氏の文化講演「二十一世紀グレート・シルクロード いま むかし」が六月二十日午後四時半から、県庁で開かれる。騎馬勢力・群馬のはるかな文化エネルギーの噴き出し口となってほしい。












(上毛新聞 2006年5月30日掲載)