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群馬大学教育学部教授 山口 幸男さん(前橋市千代田町)

【略歴】茨城県出身。東京学芸大大学院修士課程社会科教育専攻修了。専門は社会科教育学、地理教育学。日本地理教育学会会長、日本郷土かるた研究会会長。


運動会の団の名称

◎山の名は本県の特徴

 本県の多くの小学校では、運動会の団(組)の名称に、赤城団、榛名団などのように山の名を用いている。東京など、ほかの都道府県では赤組、白組という紅白で組(団)を分けるのが一般的であるから、これは本県独特の一大特徴といえるだろう。取り上げられている山は、赤城、榛名、妙義の上毛三山が最も多く、次いで浅間、白根であり、これら五つが、運動会の団名からみた上毛五山ということができる。ただし、東毛地域のように、山名を使用していないところも若干ある。 

 なぜ、本県の運動会では団名に山の名が使われているのであろうか。山名の使用時期をみると、昭和初期や同十年代が注目される。昭和初期はわが国における郷土教育の全盛期ともいえる時代であり、教育のさまざまな面で郷土化が進み、その一環として、運動会という学校行事も郷土化され、団名に郷土の山の名を使うようになったと考えられる。

 一方、昭和十年代は、わが国の軍国主義化、国家主義化が進んでいく時代であり、国家・国土を象徴するものとして、国内各地の代表的な山の名が用いられたのではなかろうか。ただし、郷土教育と国家主義的教育は連続的に進展していったので、両者の関係は明確ではない。

 一応、このように推測できるが、大正時代やさらに古くは明治時代から山の名を用いている学校もあることからすると、郷土教育や国家主義的教育という時代的条件だけでは十分とはいえない。そこで、次に地理的条件を考えてみた。本県は関東平野の最も奥に位置し、平野から山地に移行する地域であるため、山が目立ち、住民に注目され、その結果、団名に山の名を用いるようになったと考えられる。

 このことは、平野部にあたる東毛地域の学校では山名が使用されていないこととも一致する。しかし、同じような地理的条件にある栃木県では山名が使用されていないので、これもやはり十分な理由とはいえないだろう。

 そこで、私は、上記の理由に加えて次の理由を考えた。本県には「上毛三山」という強力なネームバリューを持つ存在があった。「上毛三山」という認識は既に明治時代に成立している。一方、本県の運動会では、団(組)を三―五以上の多数に分けることがなされていた。二つに分けるなら紅白でよいが、三つ以上となるとほかの基準が必要となり、その際に上毛三山の名が用いられたのではなかろうか。

 運動会の団名に山名を用いるのは全国的にみて本県の一大特色であり、この特色をどう考えていくのかということは郷土理解、郷土意識にとって重要な事柄である。前述したことは、あくまで私の推測にすぎず、今後とも検討を続けていく必要がある。






(上毛新聞 2006年6月10日掲載)