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群馬大学助教授 結城 恵さん(埼玉県さいたま市)

【略歴】イリノイ大卒、東京大学大学院博士課程修了。群馬大学教育学部講師を経て同学部助教授。「多文化共生教育・研究プロジェクト」代表。大阪府出身。


差を目立たせない

◎規範を見つめ直す時期

 日本はこれまで、画一化された均質社会であると言われてきた。ところが近年では、教育や所得に違いのある格差社会になったと言われている。確かに、長引く不況や失業者の増加等で、所得の不平等指数であるジニ係数はジリジリと上昇している。また、都市部では家庭的背景により子供の学力格差が進んだと報告されている。

 かつての「一億総中流社会」はもはや存在しない。終身雇用制の崩壊や私立中高一貫教育の拡大など、格差を広げる現象は確実に現れている。しかし、私たちの日常には、「差を目立たせなくしようとする」規範が埋め込まれている。それは、個別化・個性化への志向とは別の、私たちの無意識の領域に染みついているのである。

 「差を目立たせなくしようとする」規範は、例えば、保育所や幼稚園の日常に垣間見ることができる。子供たちは、入園した直後から、多様な集団名で呼ばれる。教室では「ちゅうりっぷ組(学級名)さん」「年中(学年名)さん」「青グループ(班名)さん」などの集団呼称が飛び交う。

 興味深いのは、先生がある集団名で子供を呼ぶとき、その集団の一員として期待される行動や態度が隠れたメッセージとして埋め込まれていることだ。「年長さんらしくしましょうね」「そんなことをしていたら、ももぐみさんに戻ってもらいますよ」。子供たちは、その集団の一員らしさを、自分の周りにいる大多数の人々の行動や態度から読み取り、大多数の行動や態度に合わせて自分の行動を修正したり、調整したりするようになる。逆に言えば、差が目立つということは、その集団の一員らしくないことを示し、また先生の立場からすれば、集団の一員に包み込むことで、差を目立たせなくするという配慮もある(拙著『幼稚園で子どもはどう育つか』有信堂高文社、一九九八年)。

 この規範はその後の学校・職場・社会のさまざまな場面にも現れる。就職活動の真っただ中にある学生たちは、リクルートファッションに身を包み、面接パターンを頭にたたき込んで出かけていく。かつて自分もアメリカでの学生時代、自分が持っている靴は赤のパンプスしかなく、それで教育実習に行ってもいいのかと指導教官に質問し、一笑に付されたことがあった。私たちは、無意識のうちに集団内・集団間の関係を考えながら、出過ぎずにうまく立ち回ろうとする傾向があるのではないか。

 私たちはこれまで、その規範に違和感を持つこともなく過ごしてきた。もし、この規範が当たり前ではない人々と一緒に生活するとすれば、私たちはどのような反応をするのだろうか。その規範を説明できるのだろうか。その規範を修正したり、調整したりできるのだろうか。

 わが国の外国人登録者数が、百二十万人を突破した。母語も考え方も生活習慣も異なる人々とともに暮らす時代の到来である。私たちの無意識の中にある「差を目立たせなくしようとする」規範を、意識化し、見つめ直す時期がきている。






(上毛新聞 2006年6月13日掲載)