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妙義山麓美術館長 稲川 庫太郎さん(高崎市石原町)

【略歴】21歳で日展初入選。モンテカルロ現代国際グランプリ展入選など国内外で数々の賞を受賞。日本はがき芸術作家文化会長、碓氷峠アートビエンナーレ実行委員長。


碓氷峠発祥の文化活動

◎参加し楽しむ心伝わる

 学生時代、駅伝のランナーとして旧中仙道の横川駅前―旧熊ノ平駅間を走ったことがある。横川駅前でたすきを受け、碓氷の関所跡付近の坂道を駆け降り、あとは中継点の旧熊ノ平駅までは標高差約三百メートルの上り坂だ。

 坂本の町に入り、地元の中学生の声援を受け、旧坂本宿内の直線コース(約四百メートル)を過ぎると碓氷峠だ。同僚の伴走バイクの応援を背に、左下に碓氷湖、右にアプト式の旧信越線のトンネルを見て、峠の九十三カーブを走り抜け、中継点のゴールを目指してひた走った。

 途中のめがね橋付近を過ぎたころには疲れもピークに達し、ゴールしたときにはフラフラの状態だった。走り終え、休息後に振る舞われた豚汁と峠の釜めしのうまかったことなどは、四十五年たった今も鮮明に思い出される。

 この碓氷峠を舞台に発祥し、市民と地元自治体、企業が一体となって共同企画した二つの文化活動が五月に開催された。

 一つは「安政遠足(とおあし)侍マラソン大会」である。大会の由来は、江戸時代に安中藩主、板倉勝明が藩士の鍛錬のため、安中城から碓氷峠の熊野権現まで二十三キロ余りを徒競走させたことが始まりで、日本のマラソンの発祥といわれている。今年で三十二回目を迎え、全国から千三百五十二人が参加し、侍姿などに仮装して碓氷路を駆け走った。沿道から大きな声援を受けて健脚と仮装を競い合い、参加者と観衆が一体となったユニークな大会である。

 もう一つは、峠の釜めしのふたなどに絵や書などを描く「碓氷峠アートビエンナーレ」である。展覧会の原点は一九九六年に妙義山麓(ろく)美術館で考案され、二〇〇〇年に同美術館で松井田町、おぎのや、同美術館の共同企画で開催された。〇二年には銀座の三越で約千点の作品を展示。大勢の人々が訪れ、全国的に「誰でも楽しめる、ちょっと風変わりな芸術作品」が知れわたった。その後、長野、神奈川、香川などでも開催された。〇四年に「碓氷峠アートビエンナーレ」と名称を変更し、今年も好評のうちに終了した。

 どちらも自治体と企業、そして多くの市民が共同で企画・運営し、参加者に「出会いと触れ合いの大切さ、楽しむ心が伝わる」イベントである。「歩く、走る、書く、描く、見る、聞く、食べる」ことは生きる楽しみの源だ。欲望に対する自制心を持ちながら、自然のリズムに合わせて、ゆったりと楽しむことも短い人生の中では必要なことだろう。碓氷峠で発祥したこの文化活動の輪が、より広がっていくことを願っている。

 ところで、先の駅伝の経験から多くの教訓を得た。高崎から軽井沢まで、たすきをつなぎ続けた連帯感と責任、伴走者の友情、沿道の声援、駆け引きや競争心理、主催者をはじめ関係者の温情…。おそらく、自分一人だけであのコースを走れ、といわれても無理だろう。肩に掛かるたすきの重さと心強さ、沿道の励ましの声、大会関係者のバックアップなどが、くじけそうになる弱い自分を叱咤(しった)激励してくれた。この経験は私にとって「心のアルバム」であり、人生の縮図ともいえる。人との出会いと楽しさこそ、人生の妙味だと思う。






(上毛新聞 2006年6月22日掲載)