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前橋工科大学情報工学科講師 松本 浩樹さん(吉井町下長根)

【略歴】千葉工業大卒。85年沖電気工業入社、音声処理関連研究開発に従事。3年間、前橋工科大設立準備委員を務め、97年から現職。北関東IT推進協議会委員。


メディアとコピー

◎ルールづくりが急務

 今回は、よく知られている二つの作品から始めよう。一つ目は<東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへりみすれば 月かたぶきぬ>という作品、二つ目は<菜の花や月は東に日は西に>という作品だ。前者は、万葉歌人の柿本人麻呂の和歌である。後者は、江戸時代の俳人、与謝蕪村の俳句の一つだ。これら二つの作品を比べたとき、月と日の位置関係が逆とはいえ、似てないと明言することは難しいように思われる。

 歴史的な背景を考えるとき、蕪村ほどの教養人が彼よりもはるかに古い時代の人麻呂の和歌を知らなかったはずもない。だとすれば、蕪村の作品はコピー作品である可能性があるということになる。また俳句には、「本歌取り」といって先人の和歌や俳句の一部を利用する、すなわちコピーする技法も存在している。近年の「コピー=悪」という風潮に従えば、これらが問題であると主張する人が現れても不思議はない。しかし、これらの事実に対し、クレームをつける人はいない。

 一方、マルチメディアにかかわるデジタルコンテンツのコピー問題、すなわち音楽や動画などのDVD、CD、デジタル放送番組などのコピーに対してはどうだろうか。提供する側の一部は恐ろしいほど神経質になり、コピー防止の手だてを講じ、使う側の一部は執拗(しつよう)にそのコピー防止機能をかいくぐってコピーをしようとしている。

 それでは「コピー=悪」は本当に正しいのだろうか。少なくとも俳句の例を見る限り、「コピー=悪」がすべて正しいとは言いがたい。さりとて提供者が持ちうる能力や技術を駆使し、多大な時間を費やし、大金を投じて精魂傾けた作品をおいそれとコピーしてよいものとも思いがたい。

 一方では「良し」とされ、また他の一方では「悪(あ)し」とされているコピー、両者にはいかなる違いがあるのだろうか。情報の観点から両者を眺めた場合、一番大きな違いは情報の表現形式といってよい。簡単にいうと俳句はアナログ情報であり、デジタルコンテンツは読んで字のごとくデジタル情報であるということである。情報の基本的な性質として、アナログは正確にコピーすることが難しく、デジタルは正確にコピーすることが簡単であるという性質を持っている。

 これは、カセットテープにコピーされたレコードの音質は劣化し、CDのパソコンによるコピーでは、その劣化がないことをイメージすれば容易に分かるであろう。以上により、あいまいにしかコピーできないアナログ情報には、コピーのルールとそれに基づく文化が育っており、正確にコピーできるデジタル情報に対する現行のルールは不十分であるということが分かる。従って、デジタル文化を花開かせるためには、デジタル情報の提供者にも、利用者にも満足のいくルールづくりが急務なのではないだろうか。






(上毛新聞 2006年7月19日掲載)