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群馬大学教育学部教授 山口 幸男さん(前橋市千代田町)

【略歴】茨城県出身。東京学芸大大学院修士課程社会科教育専攻修了。専門は社会科教育学、地理教育学。日本地理教育学会会長、日本郷土かるた研究会会長。


郷土教育

◎人格の中心点を形成

 私はこれまで本欄において「郷土かるた王国」(昨年十二月十四日付)「上野唱歌」(二月四日付)「『鶴舞う』本県の形」(三月三十日付)「運動会の団の名称」(六月十日付)と、本県の郷土的事象について取り上げてきた。今回は、それらの根底にあるシュプランガーの郷土教育論について述べてみよう。

 ドイツの哲学者であり教育学者であるシュプランガーは、その著『郷土科の陶冶(とうや)価値』(一九四一年)において、「あの人が故里(ふるさと)を持っていないと語られる場合、それは彼の人格には中心点がないといわれるのとほとんど同じ意味である」と述べた。私は、この文章は郷土教育の神髄を表わしたものととらえているが、どのようなことなのであろうか。

 人間というものは知・情・意の全体的体験を必要とする。人間が成長発達していく上において全体的体験はなくてはならないものであり、それはその人の人格形成の深奥に強く影響するものである。全体的体験が最も良くなされる場が郷土であり、郷土の生活である。それが郷土体験である。こうして郷土体験はその人の人格のバックボーンを形成していくものとなる。

 従って、郷土とは単なる土地のことではない。知・情・意という人間の全体的体験と結び付いている土地であり、人間との精神的紐帯(ちゅうたい)が認められる土地である。シュプランガーは「故里は体験しうる、または体験された、土地との全体的結合である」「故里は単なる自然と同一視されるべきではない。心の通った、最終的には徹頭徹尾人格によって彩られた自然なのである」と述べた。

 郷土体験はどの年齢段階においても大切であるが、とりわけ、小学校―中学校低学年の低年齢時期が重要である。この時期はものごとを全体的、体験的にとらえることに最も適した時期であるからである。長ずるにつれ、ものごとを分析的、科学的にとらえる能力が発達していくが、これに反比例して全体的、体験的にとらえることは薄れていってしまう。

 郷土体験は普段の生活の中で知らず知らずのうちになされている。しかし、学校教育という場において組織的、体系的、自覚的に行うことによって一層大きな効果を上げることができる。教師は、郷土に関する学習が子供の人格形成に重要な役割を果たしているのだという認識を持って教育に当たる必要がある。このような教育は学校教育だけではなく、地域社会における教育や家庭における教育においてもなされる。

 特に、地域社会における教育は内容的、方法的にみて、学校教育における以上の広がり、多様性の中で展開することが可能なので、郷土教育という点で重要な位置を占めるものといえる。例えば、群馬県子ども会育成団体連絡協議会では、年間を通してさまざまな内容・方法にわたる子ども会活動を展開しているが、それらの多くは子供の人格の中心点を形成するという大切な役割を果たしているのである。






(上毛新聞 2006年8月6日掲載)