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絹俳句会主宰 高橋 洋一さん(富岡市黒川)

【略歴】甘楽農業高(現富岡実業高)卒。国鉄勤務の傍ら俳句を始め、上村占魚、清水寥人の門下となる。句集発行のほか、村上鬼城賞、県文学賞などを受賞。

「土筆を摘んで」

◎最初の歌詞で歌いたい

 富岡市では、防災無線で夕方の時刻を知らせる音楽として、七月から郷土の生んだ童謡詩人、橋本暮村の「土筆(つくし)を摘んで」の曲を流し始めた。この快挙に賛辞を送り、併せて「市広報で詳しく紹介を」と前回のこの欄(七月二十九日付)で提言させていただいた。二十六歳で早世した暮村は郷土にもなじみが薄く、詩も曲も知らない人が多かったため、防災無線の曲の変更には不満をもらす市民が多かったからである。

 市は早速、「広報とみおか」九月号で詩は全編、曲は音符を、そして暮村の紹介もしてくださった。この速やかな対応で橋本暮村は一気に多くの市民に理解され、一人一人の心の奥深く記憶されたに違いない。毎日流される「土筆を摘んで」が、今まで以上に素晴らしい曲に聞こえるのは私一人ではないだろう。率先して文化行政に取り組む市長と、一市民の意見を素早く取り上げてくださった関係者の皆さんに、心から感謝している。

 さて、橋本暮村の「土筆を摘んで」について、もう少し書かせていただく。富岡市星田の伝宗寺に眠る暮村の墓碑の裏には、暮村が最初に作った「土筆を摘んで」がしっかり刻まれている。全国から募集された童謡詩二万数千編の中から、最優秀賞の栄誉に輝いたのをたたえて、教師仲間で親友でもあった故・吉田金蔵氏の熱意によって残されたものである。

 一、里の子供は 野の子らは 土筆をつんで おてならい いろはにほへと 春が来る

 三、里の子供は 野の子らは 土筆をつんで おてならい ほろろん ろんろん 鳥が啼なく

 紙面の都合で二番は省略させていただいた。レコード化され、詩碑となり、現在、童謡祭等で愛唱されているのは次の歌詞で、少し違う。

 一、里の子供は 野良の子は 土筆を摘んで おてならい いろはにほへと 春が来る

 三、里の子供は 土の子は 土筆を摘んで おてならい ほろろん ろんろん 鳥が啼く

 一番の「野の子ら」が「野良の子」に、三番の「野の子ら」は「土の子」に変わっている。この変化についていろいろ調べ、先輩諸氏にも尋ねてみたところ、レコード化の時、本人の承諾で変えられたようである。二十代の若い暮村がレコード化という魅力を目の前にして、プロデューサーの意に同調させられたのだと私は思う。「野の子ら」は野に遊ぶすべての子供が対象になるが、「野良の子」は三番の「土の子」と合わせると「農家の子」に限定される。

 ドラマ性は強くなるが、詩としては元の詩に遠く及ばない。「野の子ら」は町から遊びにきた子供たちも含めた、暮村らしい大らかな温かい表現で、最優秀賞に選ばれた大きな要因となっていると思う。私はいつまでも、いつまでも最初の歌詞で歌いたい。






(上毛新聞 2006年10月4日掲載)