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司法書士 樋口 正洋さん(太田市浜町)

【略歴】明治大卒。司法書士。群馬司法書士会理事。東上州三十三観音霊場会会長。太田中央ライオンズクラブ元幹事。群馬法律学校元講師。東京地方検察庁元事務官。

奉仕の本質

◎強制でなく自由な意思

 五、六年前、「奉仕」を義務教育の一環として時間割の中に取り入れようとする案が議論されたことがあった。

 すなわち、「奉仕」の時間をつくり、それを「道徳」や「ホームルーム」の時間と同じように、時間割に組み入れようとする案である。

 この案は、成長期の子供たちに奉仕の精神を身に付けさせる素晴らしい考えであった。幼いときから他人に対する思いやりや親切心を育て上げ、社会に貢献することの大切さを覚えさせることは、非常に大事なことである。

 現在、社会には、ライオンズやロータリーなど国際的な組織のクラブ、さまざまな目的で形成された各種NPOなど、たくさんの奉仕団体が存在する。

 このような団体が持つ奉仕精神を幼いときから育てることは、大切なことである。そのため、奉仕を義務教育の時間割の中に入れ、子供たちに身に付けさせようとする動きが出てくるのである。

 また、最近では、奉仕を刑罰の一つとして取り入れようとする動きもある。禁固、懲役と同様に、奉仕という刑を犯罪者に科し、他人に尽くすことを身に付けさせようというのが目的である。

 さらに、高校を卒業して大学に入るまでの一定期間、奉仕を義務付けることも検討されている。

 しかし、冒頭にあげた義務教育の中に奉仕を取り入れる案は、父母や教員などPTAの過半数を占める反対意見で否定されてしまった。

 その理由は、奉仕は他人から強制されるものではなく、自らの意思で自主的になされるものである。従って、奉仕を義務教育に組み入れることは、子供たちに奉仕を強制することになり、その趣旨に反するというのである。

 この反対意見は、しごく当然な考え方であった。

 実際、奉仕というものは強制されるものでなく、自由な意思で行ってこそ社会に役立つのである。自主的になされてこそ、社会や他人のために役立ったという心の満足感や充実感を得られるのである。それが奉仕の本質なのである。

 義務教育に奉仕の時間が設けられなかったということで、子供たちに奉仕の精神は育たないのであろうか。決して、そうではない。

 子供たちは就学中、あるいは社会に出てから、人々が社会に奉仕し、貢献している姿に出会うだろう。そして、この人間社会に役立ち、貢献することが、人間本来の姿であることに必ず気付くはずである。

 そのような意味で、刑罰の中に奉仕を組み入れる案にも疑問が生じる。本来、自由な意思で行う奉仕活動と、義務として科される刑罰を同質なものとして取り扱うことができるであろうか。また、同じ理由で、高校卒業時に奉仕を義務化することも問題である。

 もう一度、奉仕の本質に戻って、奉仕精神を身に付けさせる方法を再検討する必要があろう。






(上毛新聞 2006年10月29日掲載)