視点 オピニオン21
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銅版画家 長野 順子さん(高崎市筑縄町)

【略歴】東京芸術大大学院美術研究科建築専攻修了。建築設計事務所に勤務後、銅版画家に。個展多数。石田衣良氏などの著書の挿画も担当。上毛芸術文化賞美術部門賞。

温かい目で見守って

◎クモの巣の造形美

 秋晴れの午後、少し斜めから射(さ)す陽光に照らされて、きらきらと空中に浮かび上がる軽やかな糸の造形。自然界きっての織物作家による均衡と機能美の結晶“クモの巣”である。

 クモと聞いただけで、拒絶反応を示される方も少なくないと思う。当然、やたらに巣を張られれば迷惑に思う気持ちも分かる。しかし、私の目はクモもクモの巣も“面白いかたち”と認識してしまう。あまりにも精巧な造形に気付いてしまうと、払いのけることができなくなってしまうのである。クモ嫌いの方には申し訳ないが、クモの巣賛美にしばしお付き合い願いたい。

 秋の訪れとともに、アトリエの周辺はジョロウグモの巣が所狭しと張りめぐらされる。軒先から雨落ちまで三メートルはあろうかという空間に、巨大な網を張るものもいれば、数本の電線の間に、何匹ものクモが密集して巣を作り、集合住宅を建設するものたちもいる。光を反射するか雨粒で飾られるかしなければ、その存在を確認することができないほど繊細な糸にもかかわらず、絶妙な均衡を保つ素材の強さと構築の技はまねのできない素晴らしさである。

 存在感たっぷりの体で不安定な巣の中央に鎮座するジョロウグモの雌は、獲物が掛かれば長い八本脚を器用に動かして垂直面をはい回る。こんな移動する加重にも巣は壊れることなく均衡を保っている。ときに人間に払われたり、獲物が暴れて壊れても、その補修の技までもが美しく思える。彼らの体には、いったいどんな設計図が組み込まれているのだろうか。

 また、ジョロウグモの巣の特徴の一つとして、その横糸の張り方が挙げられる。まるで楽譜の五線のように、十本ほどの密な横糸と少し間隔の広いジグザグの足場糸が交互に繰り返され、一定のリズムを刻んでいる。彼らは実に優秀な構造設計士であり、デザイナーであり、作り手なのである。

 この精巧で美しい構造物の上で、彼らの一生は営まれている。秋も半ばを過ぎると、食べかすとなった獲物の残骸(ざんがい)が付着し、つやを失った網にほころびも目立ってくる。中には数匹の雄グモの残骸も見られ、命をつないできた日々の厳しさが伝わってくる。雌グモは安全な場所に卵の袋(卵のう)を産み落とし、秋が終わるころには寿命を終える。風に舞う落ち葉が網に捕らわれ、宙に振れるころ、主を失った巣もまた生命を失っていくように壊れ、冷たい空っ風に消されていく。

 「雪迎え」という言葉がある。秋の終わりの暖かく無風の日に、上昇気流に乗ってクモの糸が舞い飛ぶ様子をそう呼ぶ。山形県のある地方では、冬の知らせと考えていたそうだ。まれな現象だが、のどかで幻想的な光景が想像できる。好き嫌いはともかく、クモは人間の生活圏で生きる益虫である。ときには、彼らの織り成す造形美を温かい目で見守ってみてはどうだろうか。






(上毛新聞 2006年11月16日掲載)