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NPO法人よろずや余之助代表 桑原 三郎さん(伊勢崎市田部井町)

【略歴】太田高卒。ガレージ製造会社、ウエルド工業(太田市)専務。2002年12月に「よろずや余之助」を設立し、子育て支援や困り事相談などの事業を行う。

NPOの原動力(上)

◎生きたパワーと奇抜さ

 昭和五十年代初頭、太田の地にもご多分に漏れず、若者たちはろくにゼニもないのに車を持ち、これといった用もないのにあっちこっち飛び回って一人前に軟派する姿など、あまり様にはなっていないが、一応ごく当たり前に目にするようになった。当時の車は各メーカーの強烈な個性がむき出しであったが、若者たちも結構個性を光らせていたように思う。

 そのような時代のただ中、<梅淋(ばいりん)塾>という名の少々いかがわしきにおいのしそうなグループがあった。

 彼ら全員、いわゆる団塊の世代であるが、当時の大人たちの目から見ると、決して出来のよい連中とは言い難いようである。彼らに共通していることは、「やってはいけない」と言われたことには必ず興味を示し、進んで手を出すが、「やるべし」と言われたことはまずやらない。

 そんな少年期を過ごし、やっと世に出た後も相変わらずいたずら心の火は消えるどころか、ますます旺盛。そんな連中が集まって、飲んで騒ぐのは全くもって自然の成り行きであろう。

 一応、塾というからには、何らかの勉強会であろうかと思いたくもなるが、実はとんでもない間違いである。その中身といえば、仕事・宗教・政治向きの話はご法度、猥談(わいだん)のみ可というもの。これでは、大人たちがしかめ面するのも無理からぬことである。

 唯一、彼らにとってまともらしきものと言えば、面白いことならばその良し悪しにかかわらず全員夢中になり、昼夜、委細構わず突っ走ることである。そのパワーと奇抜な発想には大人たちが驚き、あきれるものがあった。

 それでも理性という、多少旧式ではあるが一応、制動装置は備えていたとみえ、親兄弟をあきれさせはしても、悲しませるようなことはあまりしなかったようだ。

 後年、そのパワーととっぴさ、強烈な個性といたずら心が市民活動に生かされるとは、彼ら全員想像だにしなかったことである。

 ただ残念なことに、このような連中はどちらかというと、あまり長寿は望めないようであり、既に三人もの仲間を亡くしている。うち二人は飲み過ぎ、一人は心筋梗塞(こうそく)であっけなく向こう岸に飛び去っていった。

 塾長にしてみれば、自分より先に仲間が消え去るのは、どうにも耐え難いこととみえ、相変らずむちゃなことをしているヤツを捕まえては、「次はお前の番だと思うが、お前はそそっかしいから、迎えが来ると、ついうっかり返事をしてしまう恐れがある。構えて返事などするでない」と常々言い聞かせてはいるものの、はた目には言っている本人の方がよほど危なっかしいように見える。

 やがて、このグループが梅田倶楽部という第二ステージに発展してゆくのである。






(上毛新聞 2006年12月23日掲載)