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「えほんのへや」主宰 三澤 章子さん(桐生市菱町)

【略歴】群馬大教育学部卒。渡良瀬養護学校などに勤務。オーストリアのカール・オルフ研究所に留学後、フリーの音遊び講師として活動。今年6月から「えほんのへや」主宰。

子供のための音楽

◎言葉は切り離せない

 「あなたのそれは、音楽じゃないわ」

 オーストリアのザルツブルグにある「オルフ研究所」でのこと。ドイツの作曲家で音楽教育家のカール・オルフ(一八九五―一九八二年)を招いて創設した研究所だが、「子供のための歌」の授業で、担当のクリスチャーネが私に言った。世界各国から来た十五人の生徒。一人一人みんなの前で「あーああー」と即興で歌わなくてはいけなかった。四年制の音楽大学卒業が入学の条件だった。実は、私は音大卒ではない。そのため、よく失敗し、頭が真っ白になった。自信を失い、劣等感を持つようになったころ、最後のとどめのように言われた言葉だった。

 「子供の音楽は母国語から始めなさい」とはカール・オルフの言葉である。アフリカの音楽は、アフリカの言語のもつ旋律とリズムから影響を受けている。言葉と音楽は、とても関係あるのだ。それでは、日本語の持つリズムと旋律からできている音楽って何だろう? 私たちが学校で習う音楽は西洋音楽で、それを最近まで音楽だと疑うことをしなかった。私にとっての音楽は「ドレミファソラシド」だった。

 突然、「わらべ歌だ!」と気付いて、すぐに声に出してみた。「かくれんぼするものよっといで」「かえるがなくからかえろ」「じゃんけんぽん」。どれもリズムがあり、旋律がある。「あんたがたどこさ」「ずいずいずっころばし」「なべなべ」。子供のころの記憶と一緒に、わらべ歌があふれ出してきた。音楽だ、歌だ、などと意識するまでもない私にとって、体の一部のような自然なものであることに気付いた。外国に行って、わらべ歌に再び出合ったのである。わらべ歌をいろいろ調べていくうちに、音楽の時間に習う歌(ほとんど西洋音楽が基礎にある)とわらべ歌の違いが分かった。

 みんながよく知っている西洋音楽「さいた さいた チューリップの花が」は「ドレミドレミ ソミレド レミレ」。

 そして、わらべ歌の「おしくらまんじゅう おされてなくな」は「ミミミミミレ ミミミミミレシ」。

 そう、日本語のリズムと旋律を持つわらべ歌は、同じ音の繰り返し。音の上がり方も滑らかなのだ。

 「あなたのそれは、音楽でない」とドイツ人であるクリスチャーネの耳に響いた旋律。頭が真っ白になった私が作ったものは、平板な旋律、同じ音の繰り返し、抑揚の少ないものであった。それは、わらべ歌と根っこが同じであると気付いたときの驚きと喜び。確かに西洋音楽ではなかった。でも、日本人である私にとっては、それこそ音楽であったのだ。

 わらべ歌には、しかも動きが付いている。カール・オルフは「音楽と言葉と動きは、切り離せない」と言っている。オルフの求めた子供のための音楽とわらべ歌は、私の中でぴったり一致した。わらべ歌は、私にとって価値あるものになった。そうそう、アフリカの人の中にはドレミの音階を気持ち悪く感じる人がいるそうだ。音楽って面白い。






(上毛新聞 2006年12月28日掲載)