視点 オピニオン21
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前橋るなぱあく園長 佐藤 恭一さん(前橋市城東町)

【略歴】東京大教育学部卒。元県庁職員。2人の息子を育て、父と母の介護も自分でして見送った。得意は料理。趣味は酒。家族は妻と猫1匹。自慢はよき友達。

クマが言いたげなこと

◎見えない檻を壊したら

 前橋のるなぱあくに、一頭のクマが暮らしている。ニホンツキノワグマ、雌、名前は「ムーン」。人間だと九十歳ぐらいの高齢らしい。去年の四月に初めて会ったムーンは、クマ舎の奥の小部屋に横たわっていた。たまに外に出るが、尻にふんをつけ、右の後肢を引きずり、はうように動く。目はタダレメでメボシ(充血目)だし、毛け艶づやもない。よくこの冬を越したもんだと思った。

 三年前の夏、私は尾瀬の竜宮で野生のクマと鉢合わせした。怖さに震えながらも、威風堂々と立ち去るクマの姿に感動していた。よろよろとはい歩くムーンには、野生のクマの威厳はまったくなかった。

 できることは、クマ舎の衛生状態を良くすることぐらいだった。新たに飼育係を引き受けた中高年五人組は、この老いたムーンをいとおしみ、よく面倒を見た。でも、ムーンの生活は変わらず、人前に出ることのほとんどない、食っちゃあ寝の毎日だった。

 晩秋、県道際のケヤキが落葉し始めた日の夕方、クマ舎の広場でムーンが動いている。何をしているのかとのぞくと、降り落ちてきた葉を前足でかき集めている。ゆっくりと、丁寧に、足でかなわないと舌ですくい上げ、口にくわえて寄せる。そして、ゆっくりと後じさり、奥の狭い通路に運び込んでいる。私はドジクルウほかなかった。「ムーンが動いた、働いている!」

 翌日から、従業員がきれいな落ち葉を集め、クマ舎に入れた。ムーンはたくさんの落ち葉をかき分け、口にくわえ、体の下に敷きこむと、丸くなって眠る。三週後、広場に箱が据えられ、毎朝、その中に落ち葉が入れられた。ムーンは、みんなが見ている前で、箱から落ち葉をかき出すと、通路へ運んでいくのが日課になった。

 「ここにクマがいたんだ! 初めて見たよ」と突然現れたクマの姿に誰もが驚いた。「でっかい!」「真っ黒!」。子供たちも叫んだ。ちょっと前までの情けない姿でなく、四本の足をしっかり踏みしめ、つややかな黒毛で威風堂々と現れ、頭を上げてみんなを見回してから、ゆったりと落ち葉をかき、運ぶ。その姿は昨年十二月三十日付の上毛新聞紙上でも紹介された。

 ムーンは展示動物だ。長い間、閉ざされた檻(おり)の中で本来の生態を奪われて暮らしてきた。それが、ひょんなことからクマとして行動し始めた。でも、それはあくまで檻の中での出来事だ。ムーンが子供たちに喝采(かっさい)を浴びているうれしさでドチクルイながらも、人に支配された暮らしの中でしか生きられないムーンの行動に、切なさがこみ上げてくるのを抑え切れないでいる。

 そんなセンチな私に、ムーンはさめたまなざしを向ける。おまえさんはどうなんだいって言いたげに…。

 「おまえさんたちは、あたしみたいに無理やり鉄格子の中に閉じ込められているんじゃないよね。何だってできるじゃないか。できないって言うのなら、そりゃ、自分らで見えない檻を作って、その中から出ようとしないだけだよ。そんなもん壊しちまえばいい。やりたいように生きることができるくせに、何もしようとしない意気地なしかい、おまえさんたちは」






(上毛新聞 2007年1月11日掲載)