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料理研究家 茂木 多恵子さん(高崎市)

【略歴】 高崎市生まれ。跡見学園女子大国文科卒。1981年、フランスに留学し、コルドンブルーで学ぶ。82年10月、クッキングハウス茂木を開設。

少人数の食卓

◎器や盛り付けで工夫を

 塗りのお重におせちを詰め、箸(はし)置きに真新しい箸、雑煮のお椀(わん)も普段使いのものとは変える。お酒を飲めない私だが、正月だけでも、とお屠蘇(とそ)を用意すると、背筋がピンと張る。

 「おめでとうございます! 今年もよろしくお願いいたします、いただきます!」

 家族が段々減り、二人だけの正月となった。ことしは、東京に住む甥(おい)がやってきた。二十九歳で独身。一人暮らしをしている。食べ物の話となった。

 インスタントラーメンは鍋で煮てそのまま食べるという。納豆はカップに入ったままかきまぜて食べているとか。独身男子だったらまあそんなものか、と思う。

 理由を聞いてみると、「食器は時々使うけど、洗うの面倒だから」。「パンも皿に載せないの?」と尋ねると、「普通、パンはそのまま食べるものだよ」「エコだよ、環境への配慮! お皿を使わなければ、洗剤も使わないし、合理的だよ。納豆はネギを入れた方がおいしいけど、わざわざ買っては入れない。結婚している家でも納豆はカップごと出すよ」

 彼が結婚して私が遊びに行ったときはぜひ、納豆には青ノリ、和からし、削り節、ネギの小口切りを入れ、器に入れて食べさせてね、と思ってしまうが、これってぜいたくな注文なのかな、と思う。

 刺し身を、売っているトレーごと食卓へ、と聞くことが時々ある。刺し身も和皿に盛り、赤身ならダイコンのツマでも用意すれば、高級な一皿になる。白身の刺し身なら最近手に入りやすくなった芽蓼(めたで)を添えるだけで映える。

 誰でも体調が悪いときは総菜を買ってきて済ますこともあると思う。そんなときは器に凝ってみたらどうだろう。味気ない料理も一品料理に変身する。手作り料理はそれだけで力がある。どんな器で出しても力強い一品になる。

 三―五人の食卓はご飯、汁物、大皿料理一品でも元気な食卓になるが、二人ないし一人の食卓は器に凝ったり、盛り付けや品数を増やさないと寂しいものになってしまいがち。食器を洗うのが面倒だからと一皿で済ませてしまうようになったら、何だか餌を食べているような気分になってしまう。

 私も若い時にはエコを実践していた。コーヒーはマグカップ、一皿にすべて載せ、昨日は何を食べたか印象のない食事を。それがコーヒーはソーサー付きカップで飲むと、同じコーヒーでも味が違うことに気がついた。食卓の上には食事に関するもの以外は置かなくし、食事をしたら気分のいいことに気がついた。

 料理を教える立場となって二十四年。食事は目で楽しみ、その時間を楽しむこと、料理は作る喜び、食べさせる喜びであることを知る。技術的なことは自然と身についてくる。

 家族が少なくなると、ともすると手を抜くところが多くなりがち。手を抜く食事にならないようにしたいものだ。






(上毛新聞 2007年1月29日掲載)