視点 オピニオン21
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写真家 田中 弘子さん(東京都小金井市)

【略歴】 東京生まれ。群馬県の養蚕・蚕糸絹業の写真「繭の輝き」が2006年第15回林忠彦賞を受賞。東京の河川等のドキュメンタリーを追う。日本写真協会会員。

地域の祭り

◎思い出は子供たちの宝

 「小さくても輝く村を目指して」。人口五千七百人余り、身の丈に合った飾り気のないこの言葉は、尾瀬、武尊山、日光白根山などで有名な片品村のキャッチフレーズだ。大自然に恵まれたこの村のわずか十八戸の集落、針山で、私は大切に守り続けている宝物を見つけた。

 豊蚕祈願の撮影場所を探し求めていた時に、ふとした情報を得て五月の祭りの日に訪れた針山神社。花咲の湯から約四キロ、標高約千二百メートルにあるその神社は、岩がそびえ立ち、聞き慣れない針山という名称から想像した通り、神秘的な雰囲気が漂い、人を寄せ付けない荘厳さを感じた。

 雨風から身を守るように岩の前に三つの御堂が並んでいる。中央に稲荷神社、右に観音堂、左に素焼きのお白びゃ狐っこさまが多数奉納されている御堂がある。やっと見つけた豊蚕祈願の民間信仰の場所だ。大量のお白狐さまが昔のまま手付かずの状態で残っている稲荷神社は、群馬県いや日本中を探しても他にはないのではないか。長い歴史も感じられ、当時の養蚕農家の人々の心の声が聞こえてくるようだ。

 この境内には「いぶし飼い」という蚕を飼う画期的な新しい方法を考え出した永井紺周郎夫妻のお墓がある。養蚕業の歴史においても価値ある場所で、当時の祭礼日には、武尊口から神社まで日傘の列が参道を埋め尽くすほどのにぎわいだったといわれている。

 今では十八戸の集落の人々が年一回、一寸八分(約五センチ)の観音像の御開帳を行っている。

 急な坂道の参道には人影も見えない。縁日の屋台もない。お神み輿こしも出ない。笛や太鼓の音も聞こえない。聞こえるのはお参りにきた数人の大人と子供たちが御堂の前で鳴らす鈴の音だけ。

 笹の葉にくくり付けたお菓子をもらって、秘密基地のような大きな洞穴の前で走り回る子供たちの姿を見て、消費社会に流されてきた私は、異文化の世界に来たのではないかと錯覚した。なんと純朴で簡素な祭りなのだろう。

 針山とは対照的な場所だが、東京・西新宿の高層ビルの谷間に十五戸の民家が取り残されている。バブル崩壊により約二十年間放置された再開発の場所である。二年後にはすべての住民が立ち退いて四十六階、八百世帯のマンションが建設される予定である。何もかも消えてしまう日を目前に、年一回の祭りを続けながら精いっぱいの思い出を子供たちに贈っている。

 時代の変化とともに地域社会の連帯は希薄になり、家族は核家族へと形を変えて孤立化が進んでいる。閉じられた家族の中で、人と人とが向かい合う機会が少なくなったように思える。

 針山と西新宿で出会った光景は、日常生活の中で祭りという一つの行事を通して、地域の大人と子供たちがしっかりと丁寧に向き合っている姿である。小さな集落だからこそできる子供たちへの贈りものなので、これからも大切に守り続けてほしい。子供たちが針山神社で経験した数々の思い出は、いつまでも心の中に宝物として残るだろう。笹の葉を肩にかけて山を下りていく子供たちの目は輝いていた。






(上毛新聞 2007年1月30日掲載)