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不動産鑑定士 須田 知治さん(伊勢崎市田中島町)

【略歴】 明治大商学部卒。家事・民事調停委員、総務省行政相談委員(伊勢崎支部長)、伊勢崎市都市計画審議会委員、明治大校友会県支部長などを務める。

老人たちは今…

◎求めているのは実存感

 仕事を奪われ、家庭内で居場所を失った中高齢者は年々増える一方である。毎日がなすすべもなく、老人福祉センターに足しげく通う者も少なくはない。そこには囲碁、将棋、カラオケ、ダンス、手芸、風呂等の遊具や設備が用意されている所が多い。

 自然発生的に常連組と呼ばれる者が誕生し、彼らは自分が居やすくなった席や場所を半ば固定的に確保して、ひと時の安らぎの時間を過ごそうとする。その気持ちは分からなくもないが、それが高じて排他的に占有できる権利であるかのごとく錯覚するようになると穏やかではない。

 そうとは知らない初心者がうかつにもその席にでも座ると、激しい口調で攻撃される場合も少なくはないという。指定席を断りもなく侵害した新参者は常識を欠いた振る舞いであり、不法行為であるかのごとく、怒りはすぐには収まりそうもない。カラオケの順番をはじめ、ダンス、ゲートボール等に至るまで老人社会のルールは意外と厳しく、執拗(しつよう)である。無論、全部がそういうわけではないが、一部に存在することは事実である。

 子供夫婦は核家族を盾にして一線を画し、配偶者を亡くした一人身老人が失意の底からようやく立ち直ろうとして、世間に広く話し相手を求めようとする先は同じ境遇の老人社会が手近である。情けに厚く、心根の優しい仲間が待ち受けているかもしれない。淡い期待を秘めて訪れたものの天使の姿はなく、初日早々からルール破りをののしられ、衝撃を受けて逃げ帰っている例も少なくはない。

 職業も社会も政治も、老人は年をとっているというだけで疎んじられ、軽視されている。それを甘受して、憤ろうともしない老人の何と多いことか。福祉施設やサークルに群がり、生きがいだ、安らぎだ、ふれあいだなどと言ってみても、つかの間の喜びでしかないであろう。家へ帰れば暗く冷たい部屋が待ち受けているだけで、落差の大きさから悲哀は一層つのるものがあろう。

 健常老人は、まだまだ余生が長いのである。老人も、福祉を提供する施設側も、固定観念に縛られない福祉本来の在り方を考え直してみてはどうであろう。現状下での福祉は、老人にふれあいや安らぎを与えるレクリエーション型に力点が置かれているように思えてならない。それでもなお、施設管理者に対する老人側の苦情や要望はエスカレートするばかりである。

 かつては公徳心にあつく、己を律することの強かった老人は減っている。現在は福祉やサービスを多少受けた程度では不満やイラつきは消えない。彼らが求めているのはそういうものでなくて、仕事や社会貢献などを通しての実存感ではないだろうか。そうだとしたら、福祉施設等はそれに対応する施策を講じてみる必要がある。内職場所を提供して、幾らかでも稼げる道や社会貢献への参加の仕方などを指導する立場であってもよいと思う。






(上毛新聞 2007年2月8日掲載)