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県体育協会クラブ育成アドバイザー 青木 元之(沼田市戸鹿野町)

【略歴】 日本体育大卒。水泳で国体に2度出場。県内小、中学校教諭、渋川金島中教頭、県体協・スポーツ振興事業団共通事務局次長を経て、2005年から現職。

スポーツマンシップ

◎責任持った見方が必要

 「宣誓! われわれ選手一同は、スポーツマンシップにのっとり、正々堂々と戦うことを誓います」。団塊世代に馴染(なじ)みの深い競技会における選手宣誓の原型である。スポーツマンシップとは、「スポーツのルールを遵守(じゅんしゅ)してゲームを行っていく上での根本的な姿勢」のことである。

 スポーツはルールによって制御され、人の持つ闘争心がスポーツマンシップにのっとって遺憾なく発揮されるが、種目によってはルールを超越した高度の姿勢を求められることがある。そういったスポーツにおける評価の厳しさに視点を当ててみたい。

 昨年の大相撲九州場所、横綱朝青龍が全勝で優勝した。その中には八日目に稀勢の里にけたぐりで勝った一勝がある。

 なぜか横綱審議委員会から「品格がない」と批判を浴びた。また、北の湖理事長や横綱本人も「あれは良くない」と言い、稀勢の里の親方も「横綱が逃げた」と、負けた弟子を褒めた。横綱の技を認めたのは、「気負いを見透かされた」と言った稀勢の里ぐらいだろう。

 その後、「ルールの中で勝ったのに批判するのはおかしい」といった反論が新聞などで取り上げられ、私も同じ感想だった。しかし、何ともすっきりしないので、一九八一年の学生横綱で群馬県国体相撲監督の山崎幸一氏に相撲における評価について尋ねてみた。

 彼は、「幕下付け出し」という特権を持ちながら身長が一六六センチと基準に足りず、大相撲を断念せざるを得なかった人である。「規定なので仕方がない」と淡々と言うが、学生横綱をかけた決勝で一八○センチ以上の相手を負かした取り口について、「相手は必ず右下手を取りにくる。私は体が小さいので、そのチャンスにかけたらタイミング良く出し投げが決まった」と目を輝かせた。

 その彼が「品格の話は別にして、大相撲の横綱は強くなければいけない。常に安定した勝ち方が求められる。技ではあっても、『けたぐり』はいちかばちかの技なので、横綱としては良くはないでしょう」と説明する。相撲世界を知る山崎氏の話には重みがあった。

 そういえば、三代目若乃花も「毎日遺言を書いて土俵に上がっていた」と、横綱として命がけで大きな力士を受け止める心境を某テレビで語っていた。

 格好良さだけが写る横綱が命をかけている。なんとすごい世界だろうか。大相撲は、私の考えよりはるかに奥の深いところで根本的な姿勢をとらえており、そこに大相撲のスポーツマンシップがあることをあらためて知らされた。

 現在では「見るスポーツ」と言われている。見る人は、厳しい練習に打ち勝つ人たちから感動を与えてもらうのだから、ルールや判定基準のみならず、大相撲のような特性があることもよく知り、その人たちを正しく理解するため、見る側も自分に厳しく、責任を持った見方をすることが必要であり大切だと思う。そうすることがさらにスポーツの楽しさを味わうことにつながるのではないだろうか。






(上毛新聞 2007年3月1日掲載)