視点 オピニオン21
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太田国際音楽セミナー事務局長 栗山 貴美子(太田市飯田町)

【略歴】 コンセルヴァトワール尚美などでピアノを学び、数々のコンサートや音楽セミナーを企画、地域への定着を図る。ピアノ教室主宰。太田クラフィーア研究会長。

日本の歌

◎伝わる「古き良き伝統」

 先ごろ、私の友人で長い間アメリカで音楽活動を行っている日本人夫婦によるバイオリンとピアノのコンサートに出掛けた。今回の曲目がすべて邦人作品だったので、終演後、その理由を尋ねたところ興味深い話を聞くことができた。

 「長い間外国で暮らし年を重ねるごとに、自分の生まれた国に郷愁を感じ始める。邦人音楽についても若い時には感じなかった何かが、いま少しずつ芽ばえ始め、その思いがだんだん強くなる」

 人間は年を重ねるごとに祖国に対する思いが強くなるものなのか、同じような感情を持った人々に私もアメリカで会ったことがある。

 一九九三年、シカゴのルーズベルト大学で音楽の勉強の機会を与えられ、その年の九月より学生生活がスタートした。

 自分の娘や息子と同じぐらいの年齢の学生と机を並べて猛勉強の毎日であったが、唯一の息抜きは、家族や友人へ手紙を書くことであった。

 ある日郵便局で品のよい高齢の日本人男性と出会った。柔和な眼差(まなざ)しをしたその男性は秩父生まれで、十代後半で両親とアメリカへ渡り、以後この国で暮らしているということで、子供のころ、太田の呑竜(どんりゅう)様や館林のツツジ見物に行ったことがあるということを話してくれた。

 私たちは偶然の出会いに感謝し、再会を約束した。ほどなくしてその男性からあるパーティーに誘われた。それはシカゴやその近郊に在住する日系人のパーティーで定期的に開かれ親睦(しんぼく)を深めているとのこと。群馬出身の人もいた。

 彼らは、みんな陽気で連帯感が強かった。「勤労感謝の日」のパーティーは、盛大であった。

 手作りの日本料理が並び、日本舞踊や琴の演奏もあった。私はかねてから興味のあった第二次大戦中と戦後に日系人はどのような扱いを受けたかと質問したところ、彼らは「確かに戦時中は苛酷(かこく)な体験をした。しかし戦争が終わると再び自由になり、平等な扱いを受けた。いま充実した生活が送れるのもこの国にいたからである。私たちはこの国に感謝している」と穏やかに答えた。

 彼らは忍耐強く、互いに手を携え、困難を乗り切ったのであろう。そのパーティーで最後に「ふるさと」を歌った。どんな時でも必ずこの歌を歌うという。異国で幸せに暮らしていても日本人としてのアイデンティティーを失わず、その思いが強くなっているのではと感じた。

 私は今「ふるさと」を歌うたびに彼らの祖国に対する熱い思いがよみがえり胸が熱くなるのを覚える。「ふるさと」に代表される日本の歌には、私たちが持ち続けている古き良き伝統や穏やかな気質と、美しい自然が相まって風情、情緒、季節感などが簡素な歌詞やメロディーの中に、あますところなく伝えられている。

 それは時空を超えて、私たちの心に強く訴えてくるものである。今、都市化の波によっていたる所で開発が進み、自然が少なくなってふるさとの山や川が姿を消しつつあるが、せめて日本の歌の灯を消すことなくいつまでも歌い続けていきたい。何な故ぜなら日本の歌は日本人の心そのものであるからなのである。






(上毛新聞 2007年3月22日掲載)