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県フェンシング協会理事長 吉澤 博通(昭和村貝野瀬)

【略歴】 群馬大教育学部卒。沼田フェンシングクラブ代表。日本フェンシング協会評議員。県内小中学校に長年勤務し、現在は昭和村立昭和中学校校長。

日本代表

◎兄弟や仲間の夢乗せて

 外は雪。暖冬とはいえ、沼田の地では体育館の中は底冷えがする。冷気をついて剣が触れ合う音が響く。激しい気合とともに、床に踏み込む足の音がけたたましく鳴る。

冬休みを利用し、世界ジュニア・カデフェンシング大会選考会へ向けての練習である。選手たちは、冷気の中でも汗だくになって対戦している。練習は、沼田高、沼田女子高、沼田フェンシングクラブ(中学生)の合同で行われた。コーチ兼練習相手として、帰省中の大学生も交じっている。選考会は、一月七日、八日にカデ部門(十四歳以上、十七歳未満)、九日、十日にジュニア部門(十七歳以上、二十歳未満)が行われ、日本全国から各予選を勝ち上がった各種別百人余りの選手が三人の日本代表枠を競った。

 オリンピックで金メダルを目指す日本フェンシング協会では、若い選手に海外の選手と剣を交える機会を与え、競技力の向上を図ろうと、世界ジュニア・カデフェンシング大会へ選手を派遣している。この大会はその年代の世界一を決める大会であり、レベルが高い。最近は入賞する日本人選手も出ており、確実に日本のフェンシングのレベルは向上している。

 平成六年から始まった選考会だが、初めの五年間は、群馬県の選手はだれも勝てなかった。百人の選手で競われる選考会は、気力、体力を使い果たす総力戦であり、簡単に勝てるものではなかった。

 そこで、全国少年フェンシング大会で、中学男子二位となったY君を期待を込めて送り込んだが、中学三年時七位、高校一年時四位と、あと一歩で涙をのんだ。

 彼には三歳年上の姉がいた。努力はするけれどなかなか結果を残せない選手だった。彼女は、高校卒業を契機にフェンシングはやめたが、才能のある弟に自分の夢を託し応援していた。選考会カデの部での弟の三位以内を確信していた彼女は、日本代表に決定したとき送ろうとプレゼントを準備して会場に駆けつけた。しかし、四位という結果に、それを送ることができなかった。プレゼントは、Y君がジュニアの部で日本代表を勝ち取るまで、コーチが預かることになった。

 三年後、大学一年生になったY君は、練習に練習を重ね、選考会ジュニアの部でようやく日本代表を勝ち取った。コーチは、姉に三年前預かったプレゼントを戻した。姉は、涙をふきながら弟に三年越しのプレゼントを手渡した。ついに、二人の夢が実現したのである。

 この選考会で勝って日本代表として世界大会に出場することが、全国の若いフェンサーの夢である。その夢に向かっての日々の努力が実を結び、今までに、群馬県から二十人の世界カデ・ジュニアフェンシング大会日本代表選手を輩出している。今年も、沼田から、カデの部で三人、ジュニアの部で一人が日本代表を勝ち取った。群馬の片田舎から、親や兄弟や仲間の夢を乗せて、四人は世界へ羽ばたく。






(上毛新聞 2007年3月26日掲載)